December 11, 2005

雑感。

ドラマ「野ブタ。をプロデュース」にすっかりハマッている今日この頃な訳ですが。

僕はどちらかというと松本大洋的な世界観というか、「男の子の世界」がどうにもよく解んなくて、まあ「青い春」とか「ピンポン」のような、ドツキ合いに近いある種のリビドーの発露が、カッコ良くも遠巻きにしか見えない感覚なのです。
思えば、小中学校の頃の昼休み。サッカーボール抱えた男子を尻目に、教室に残って男子1人、女子に混じってフルーツバスケットしていた軟弱なオトコです。三つ子の魂、ちゅう奴かしら。。

さて、「プロデュース」といえば、積年の思いで僕が演出してみたいドラマが有るなあ。以下、妄想ですが。

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●燃えよ剣●

オトコの勝手な論理が昔から大嫌いで、特に女の子のことを「おネエちゃん」とか呼ぶ輩が居たら、露骨に言葉遣いから訂正させるフェミニストです。僕は。
そして、司馬先生もまた、非常に側面的な女性観というか、懐古的な枠組みの中では正しいとされた女性観を以って、こういう武家モノ時代モノを描いてますね。しかし実際、僕が好きなのは多摩時代の歳三の姿でして、あの府中の夜祭でのシーンとか、艶っぽさは流石だなあ、、と思う。あの辺を中心にドラマにしたいですね。


●今昔物語「比叡の僧、虚空蔵菩薩の力を借りて、、、」●

今は昔、比叡山に修行する若僧が居りました。学問の志は持っていたものの、「学問しなきゃ」と法輪寺の虚空蔵菩薩に祈るだけで結局は学問しないままだった。ある日、寺からの帰りに日が暮れてしまい民家に宿を求める。そこで出遭った美しい寡婦に恋をし夜這いするのだが、「お坊様なら法華経くらい念じられるようになってからおいでください」と断られる。
僧侶は二十日余りで法華経をそらんじ、再び女の許へ赴くと、「法華経をこんなに早く覚えられるのだから、修行して立派な学僧になってから来てください」と言う。一念発起した僧侶は3年の間修行に励み、比叡山でも名声轟かせる学僧になる。三度、女の許に行き、ようやく思いを遂げようと添い寝するが、道中の疲れからそのまま寝入ってしまう。
ふっと目を覚ますとそこは寒々とした草原。狐狸に騙されたと!思った僧侶は法輪寺の虚空蔵菩薩の前で眠る。夢に出てきたのは虚空蔵菩薩。「今夜のことは狐狸の類ではない。お前は知恵を得たい、学問を見につけたいと言いながら、怠けてばかりであったので、わしが女に身を変えて、学問に導いた」と。
・・・なんともいい話じゃないか。


●更級日記●

国司に任官していた父とともに上総国で育った菅原孝標女。13歳になり、父とともに都に戻るところから話はスタートする。少女時代、源氏の世界、物語絵巻の世界に想像を膨らませ、物語の世界への憧憬の部分がとても生き生きとしている。自分にも光君のような白馬の王子(いや当時だから牛車の王子だな)は現れるか、乙女心は疼く訳だが・・・。
大好きだった姉との死別、未婚のまま姉の遺児を育てた二十代。そして三十代でようやく結婚したのはちょっとイケてない中流貴族。子供には恵まれたが、夫に信濃国司の任が下るも京に残る。同年夫とは死別。孤独のうちに過ごす中で、次第に仏に救いを求めていく老いの日々。

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きわめて本は読まないほうだが、心に残るいくつかの作品は、こうして何か形にしてみたいな、、などと有らぬ妄想を抱かせるものですね。。

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August 27, 2005

NANAふたたび

同じモノを食って、同じ服を着て、同じ景色を観る。なのに、どうしてこんな視点を持てるだろう。

矢沢あいの才能には、ほんとに驚かされる。

ちょうど1年前のコラムでも、矢沢あい「NANA」を取り上げたが、いよいよ映画も公開されるし、ますますNANAの支持層が広がっていくように思えて、楽しみでしょうがない。
「天使なんかじゃない」のときから巧みだった複数のキャラクターの心情操作に加えて、本作では「当たり前」の風景を再解釈して、別の意味づけを提示する力がまた高まったように思える。まあ、僕のミソッカスな薀蓄など、どうでもいい。

見慣れた風景をどう観るかで、心のありようなど変わるもの。
「新しい」とは、そういうことだ。

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April 06, 2005

Fuzoku

言葉には、その人間に内在する無意識が投影されるものかも知れない。

弊社に、爽やかな言動と優しい人柄を絶やさず、誰からも愛されている先輩がいる。“好青年”と辞書で引いたら、こういう人物が例言に出てきてもおかしくはない。その先輩が会議中、プロジェクターを自分のPCに接続し、デスクトップの様子をスクリーンに映し出した。
整然と並んだ、アウトルック受信メールのフォルダ名、見てはならぬ文字が。

「Fuzoku」

おいおい、「風俗」なんてフォルダーつくってるよ・・・会社一、爽やかな先輩が・・・信じられない・・・。おそらくは風俗店情報だかメールマガジンだか何かなのだろうが、堂々とスクリーンに映し出されちゃっていることに、本人も気付いてない様子。見ちゃいけないものを見てしまった!!
僕は慌てて、後方のホワイトボードを指差し、皆の眼を逸らそうと必死に自分への注目を呼びかけた。弊社の「プリンス」に、傷が付いてはならないのだ。ブランド・イメージは僕が護るからね、王子!

ほどなく会議は終わり、先輩と飯に行ったとき、おずおずと聞いてみた。
「あの、先輩もオトコなんでしょうから、ええ、解りますとも。あの、メールフォルダに『エフ・ユー・ゼット・オー・ケー・ユー』ってありましたけど・・・?」
「え、何のこと?」
嗚呼、この期に及んで先輩は未だ知らぬフリをしている。こちらも気付かぬフリをするのがオトナってもんか?
「いやだから、さっきの会議で『Fuzoku』って受信メールフォルダーがスクリーンに映ってましたが。」

「ああーー『付属』のことね。僕の母校、教育大付属中のメーリングリスト用だけど。」

***
中国は周代、杞の国のある小人は、「天が落ち、地が崩れたら如何にしようか」と思い悩み、寝ることも食べることもできなかったという。(「烈子」)

・・・その日の午後、先輩のメールフォルダは、「Fuchu(付中)」に変わっていた。

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January 10, 2005

「頑張る」

鬱病のひとに対して、「頑張って」という言葉を掛けてはいけないらしい。

うつ病とは決して「なまけ病」などではなく、「(生真面目で几帳面な人などが)頑張り過ぎた結果起こる病」であって、そういう人物に対して「頑張れ」と言うことは、頑張れないことをさらに自責させる逆効果に結びつくからである。
さすれば、「一億総うつ状態」とも言える昨今の状況では、不用意に「頑張って」という言葉など使おうものなら、もう、言葉狩りアカ狩り金縛りに陥ってしまうこと請け合いなわけで。。

・・・しかし、さきの大戦と戦後のどさくさを生き抜いてきたうちのお袋に、こんな理屈は通じない。
腹をこわしたら正露丸、頭痛発熱はバファリン、という純粋想起の如く、彼女にとっての励ましワードは「頑張れ」一本。思えば僕は、このボキャブラリー貧弱な母親のお陰もあって、小さい頃から如何なるときにも「頑張りなさい」以外の励まし言葉を掛けられた覚えがない。お陰様で、人並み外れた鈍感さも手伝って、いまのところは鬱にならずに済んでますが、ほんと、毎日毎日、一年365日、「頑張れ」って僕は言われ続けてきました。自分としては、それなりに頑張ってるんだけどなあ・・・とか思いつつ。

ふと、辞書で調べてみると。
*****
「頑張る」(三省堂「大辞林」より)
<「(我)には(張)る」の音変化、また「眼張る」の意からとも。「頑張る」は当て字>
 1 困難にめげないで我慢してやり抜く。
 2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。
 3 ある場所を占めて動かないでいる。
*****
のようになっているそうな。

「頑張る」という言葉は、英語で言う「persevere(severeな状況にper(貫徹・耐久)する)」に近しいのかな。
うちのお袋のことを度々持ち出すが、戦中戦後を経験している人間にとっては、いま僕らが体験している会社や学校などのストレス自体も大したものには映らないのだろう。「如何な困難も、あのときの苦しさに比べれば大したものではない」という理屈はまあ、分かる。
・・・けど残念ながら、僕には「頑張る」の言葉が持つ魔法はもう、解けてしまったようだ。

最近、友人から、「そういうときにはいい言葉があるだす」と教わった。
                
                “Take it Easy”

なるほど。伝説のウッドストック。その夢かなわぬことを知った1970年代の米国を包み込んだイーグルスの名曲のタイトルもこれだなあ・・・。
先日、ウッドストックのドキュメンタリー映画を見たが、ジミ・ヘンドリクスの米国歌、ジャニス・ジョプリンの命を絞って歌うカリスマに、やられっぱなしだった。1960年代の最後の泡沫、そして、時代の夢が破れた後のメッセージが「気楽にやろうぜ」であるのは、考えてみれば日本の反戦フォークからニューミュージックまでの流れとも呼応するなあ、なんてオンガク素人ながらも感じる。おっと、だいぶん話がそれてしまった。

「頑張る」に対するカウンターワードとして、僕は“Take it Easy”にはひとを励ます力が未だ残存していると思う。古くて新しいこの言葉の魔法は、まだ解けていない。“Take it Easy!”

けれども、正直なところ、言葉そのものに何処までの意味と力があるっていうんだろう?

ある時宜に適い、ある意図を以って発した言葉は、仮にそれが「石鹸」であっても、「青空」であっても、何であってもいい。それが言葉を介在にした人間間で、強度を持って投げ合えることを確認できたならば、それは力のある言葉ということになるのではないだろうか。
“You say Good-bye” and “I say Hello”・・・ジョンとポールは互いにすれ違う。けれど、同時に二人は認め合っている(だから接続語は"but"でなくて"and"なのだろう、と勝手に解釈しているが)。
「Good-bye」と「Hello」と。これほどシンプルでも強度ある言葉を投げ合えた二人は凄い。

時代が「頑張る」ことを認めようとそうでなかろうと関係ない。
ただ、今、目の前に起きている状況に、そして自分が思い入れている誰かに対して、何かしら投げられる言葉があるならば、それが「オムライス」でも「カニサラダ」でも構わないから、届いて欲しいと思う。

・・・頑張る。

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November 12, 2004

ambient

踊り疲れた ディスコの帰り
これで青春も終わりかなと 呟いて
貴方の肩を眺めながら 痩せたなと思ったら泣けてきた
****

宵闇舞い降りる昂揚感と、空白む朝の寂寥感。

滲むインクの褐色は、いつもよりもさらに、儚くも青い。
線香花火が終わりの時を告げるように、ほどける心。

神様、僕に言葉を統べる力を。

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September 19, 2004

少女漫画、舐めちょりましたm(_ _)m

ステレオタイプの罠、ちゅうか、ラベリングってえのはホントに怖いもんです。

なんといいますか、妙に目がキラキラしてて、白馬の王子様なんか登場しちゃって、愛だの恋だのばっかし夢みる麗しきオンナノコ♪みたいのが、少女漫画なんだと思ってました。家の漫画棚(結構色々とコレクションはあるつもりだが)には、男性作家の作品は有っても、女性作家の作品がほとんど無かったんですよねーー。つうか、女性の漫画家、なんだか読みにくい感じがして。かの名作、萩尾望都の「トーマの心臓」も、読み終わるのに何ヶ月もかかったくらいですし。。

ちなみに、家にもっぱら置いてあるのは、ちょい昔の男性作家の漫画が多いです。手塚・藤子両先生はさておき、ちばあきお、つげ義春、永井豪、横山光輝、池上遼一、諸星大二郎、、強いて恋愛モノ描いてると言えば原秀則くらいでしょうか。。

なぜに少女漫画が読みづらいか、それは一言で言えば、「恋愛」要素が必ずと言って良いほど入ってて苦手なんす。これでも俺(おい)、九州男児やけんね。女の子んことばっかし考えちょるとか、軟弱な感じがして、なんかすかんとよね。
・・・ていうわけでも無いけど、少なくとも、唯愛論(恋愛が無きゃ、生きていけない!)って、ちょい照れくさくてね。(そんな自分でも職場では、「みんな!人生は愛っすよ、愛!!」とかホザいて回っているから、我ながらいい加減なもんだと思うが(爆))

さて、話を本題に戻しますが、いい漫画に出遭いました。

   矢沢あい「NANA」(集英社Cookie連載中)

読んでみた。まあ、確かに、愛だの恋だのに耽溺しとるよ。ちゅうか、おめえ達もっと、天下国家のことを考えろよ!隣の国は核査察受けてるんだぞ、郵政民営化だってこの先どうなるか解らないんだぞ!!
・・・ってな、モテないおっさんの独り言は置いといて、、この作品、純粋に人間の描写がかなりきわどくシャープに描けてます。恋愛は確かにベースにあるんですが、女性どうしの所有欲やノスタルジーあふれる風景、夢キラキラではないリアリティある目標への実現プロセスの生々しさ、、これだけ詰め込めてもなお、散漫にならない作品は珍しい。

海辺の寒々とした光景はどこか、つげ義春の「長八の宿」に通ずるところがあるし、セックス・ピストルズへの賛辞に溢れたエピソード感や薄暗さも匂わせている。ちょっとばかし、主観が抜けない(物語としての思い入れなのだろうが、キャラクターに対する客観性・距離感をあまり作り込んでない)のは、この作者にとっての計算のようにすら、思えてしまう。ともあれ、最後まで見なきゃ総合判断はできないが、なかなかの名作の予感です。

実は本作じたいは未だ連載中でして、先がどうなるんだかも甚ださっぱり解りません。が、暖かく見守っていこうとは思います。いままで、『少女漫画』なんて、ぬるいカテゴライズしててごめんなさいです!あたしがバカでした。。

舐めちょりました!!m(_ _)m

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September 18, 2004

素材で勝負するという風潮

「美味しんぼ」という料理漫画がある。
主人公の山岡士郎は、素材へのこだわりぶり並々ならぬものがあるのだが、ときおり彼はアッと驚くことをやってのける。明らかに三流・平凡な(あるいは対戦の食材に関して格の劣る)素材を用いて、一流の味を凌いでしまうという芸当だ。
最高級フグの白子に対してタラ白子を出してみたり、ブランド日本米に対してタイ米を出してみたり。明らかに、料理の技巧だけで白黒はっきりつけてしまうことに、僕ら読者には爽快感が与えられる。

が、現実はなかなか、そうは行かないようで。素材の味ってのは強烈にインパクトがある。というか、一風変わった素材を持ち出した時点で勝負がついちゃうこともある。これ、別に料理のことだけを指しているんじゃないんです。

昨今の文学や映画で評判になる作品は、いずれも題材・設定の段階でほとんどの勝敗が決まっている感じがする。(いやもちろん、文学や映画は勝ち負けではないっすけどね・・)
 ・ドロップアウト女子高生とクールな小学生が風俗チャットで銭儲け
 ・ロリコン男とキャバクラ嬢のすれ違い同棲模様
 ・女子高生がドラッグ・レイプ・援交・ホストそしてエイズに
なんといいますか、いかにセンセーショナルで変わった食材を見つけてくるかが、その面白さの根幹にあるわけで。作品をつむぐ上でのプロセスで発現した、美しい表現や深い洞察・観察なんて、ぜーんぜん期待されてないような感覚もある。

そしてこの風潮は今後ますます広がっていくと思う。
僕自身は別に、こうした設定のトリッキーさ、素材のセンセーションで売りにする風潮自体は否定するわけではない。

けど、ふっと足元を見る。
と、俺はいちサラリーマンで、会社に通い、近所の喫茶店で茶をすすり、洋服買って、ビデオ借りて・・・と、平凡きわまりないセイカツを送ってる。だからといって、別に物珍しい設定やブンガク映画作品に対して、現実と離れた自分を仮借したいなんてこれっぽちも思わない。いや、ま、たまには思うかな。
平凡な登場人物が、静謐で安定した日々の中で、ちょっとだけ触れる違和感、「当たり前だ」と見過ごさない批判精神、人間関係への洞察。僕には、こっちのほうがよほど興味のあるテーマなのだ。魔法も、超人も、ロボットも、宇宙人も、登場はしないけれど。

かどぅちゃんねるでは、少なくとも、こうした平凡を積み重ねて面白さに変えていければ・・・って思う(実力・筆力のことは言いっこ無しで(苦笑))。

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September 13, 2004

「難しい」は便利な言葉

読解力の無さと勘の悪さも、僕ほどになれば、結構自慢できることだってある。

女の子はしばしば、「それって難しいよね」とかいうコトバを使う。いや、小生は使われることがある。何のことはない、別段ボクの話の内容が高尚なわけでも、難解なわけでもないと思うのだが。これって明らかな信号を発しているだけなのです。。翻訳すれば、

「その話題にはとくに興味もないし、考えたくもない」

と言っているのに等しいんじゃないかしら。
「キョーミない」「考えたくない」では直裁的だろう。それをオブラートに包み、低温で焼き上げて原型を留めないくらいの言い方になったとき、「難しいよね」のコトバが出てくる。

オトコよ、ゆめゆめ、信号を読み違えるな!
慌てず騒がず、別の話題を用意しよう、その素材は何処かにしまって、さ。

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July 30, 2004

御用だ、誤用だ!

唄は世につれ、世は唄につれ・・・なんてえことをよく申しますが、言葉の世界もまさに「世につれ」なのでしょうか。誤用って結構多いですよね。僕がここ1週間くらいの間に出会った誤用をちょっとメモ程度に取り上げてみます。

●煮詰まる(に-つ・まる(動))
・・・誤用の代表選手ですね。
(例)「仕事に煮詰まった」「会議中、議論に煮詰まった」
本来は煮物をぐつぐつ煮込んで、水分がなくなるのに近づく状態のことを指すわけですから、「結論に近づく・完成一歩手前」なんて意味が辞書的には正しいんですよね。そうすると、上の例はいずれも、「行き詰る」との間での勘違い。けど、今、世間では「行き詰る」の意味で使うひとが7割くらいでしょうから、まあそのうち、辞書には誤用のほうが載るようになるですだよ。そういえば、テレビを見てて、とあるアナウンサーも『行き詰る』の意味で言ってたなあ・・・。

●テンション(てんしょん(名))
お笑いが大好きなんですが、よくお笑い番組では「テンションが低い」とか「テンションを上げていかなきゃ」みたいな台詞がありますね。でも、辞書的な意味では「tension=緊張(感)」ということなので、「concentrating(専念する・集中する)」のほうがむしろ、意味としては近い気がする。巷間よく使われる、「盛り上がり」「騒ぎっぷり」という意味は、「ハイ・テンション(これは英語でも存在する言葉です)」から派生したのかな・・・と。

●確信犯(かくしん-はん(名))
これは結構、面白い。正しく辞書的意味を言えるひとって以外に少ないかも。
「確信犯」とは本来、「宗教・政治などの思想信条を確信する人物が、『俺のやってることは正しい』と確信して引き起こす犯罪」のこと。戦前なんかには多かったけど、幸徳秋水や大杉栄の生き様なんて、まさにこれ。
いまの世に使われる確信犯という言葉は、「悪いってわかっちゃいるけど、やっちまった悪さ」という意味がある感じですよね。法的には「故意犯」というのが正しい言い方なんじゃないかな、と思いますが、ま。

別にここで、正しい言語ハンターっぷりを世に晒すつもりはさらさら無いんですが、言葉って不思議なもので、お互いの言語的な思想的な育ちようが根底にあってはじめて、対話として十分に成立しうる性質もあるのかな、と思ったりします。友人は必死に「煮詰まる自分」を訴えるんだけど、僕には「それっていいことじゃん」と思えたり。(それは僕の文脈読解力のほうに問題があるか・・・(爆))
こればっかりは、多数者が使うことがやがて、正しいことになっていくのかなあ・・・それって諦観かしら?いや、希望的諦観ってことで。(爆)

「君と世界との闘いでは、世界を支援せよ」(F.Kafka)

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July 20, 2004

かさぶた

最初は嘘で塗り固めたかさぶた。

最初の目的が達成された後も、一枚一枚剥がされ、
しかし、残ったかさぶたの下には、真実があった。

ホンモノを貫くよりも、ニセモノを塗り固めるほうが、
もっと、もっと、難しい。

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