« オトナのやり口 | Main | 老いへの願望 »

May 08, 2005

Reconquest

「何を当たり前のことを」と言われるのかも知れないが、自分の人生は自身が決め、自身で生きることでしか決着が付かない。「誰かのために生きる」という美名に刷り込まれた寸分の欺瞞に、早く気が付かなきゃ。

恥を忍んで告白すれば、僕には、共依存のケがある。いや、間違いなく共依存症である。共依存については、次の話がわかりやすい:
共依存の人は、自分自身を大切にしたり自分自身の問題に向き合うよりも、身近な他人(配偶者、親族、恋人、友人)の問題ばかりに気を向けてその問題の後始末に夢中になります。(上記サイトより引用)

いったいどうして、こういう事になったのか自分でもよく解らないのだが、例えば僕は自分の時間をひとりで過ごすのが苦手である。何がしか一つ事に没頭するということができず、ついつい所在無さのほうが先行してしまう。あと、僕には強固な判断軸が無く、常にふわふわと現場対応的である。良い見方をすれば、権威主義みたいなものとは無縁の人間であると言えるのかも知れないが、一方でそれはポリシーの無さにも通底する。

共依存の人間ってひょっとしたら、何か目の前に起こっていることに対して、自分が介在することで進行するドラマのようなものを期待したり、感じたりするんじゃないかしら。アディクトしている自分に、馬鹿馬鹿しくもヒロイックに酔ってしまう、自分が出演するドラマ。

人生は、テレビドラマなんかじゃない。
何処にもシナリオなんて無いし、明日のことも解らない。今日この後ボクが確実に存在しているかどうかだって解ったもんじゃない。だからこそ、自分の人生を生きて、生き抜かなきゃいけないわけで、外界の何かを待つことにエネルギーを費やすような人生なんて送っちゃいけないんだ。そんな僥倖、来やしねえから。

『待つ』という行為にはドラマがある。
「ジョニーへの伝言(Pedro & Capricious)」「ばらの花(くるり)」「待ちすぎた僕は疲れてしまった(遠藤賢司)」、、、待つことをテーマにした曲ばかりを、僕は好きになる。けど、待つことで何かを得ることなんて、現実には中々無い。いや、それでも、待つことで疲弊しなければそれでも良い。けれど僕のいまの気持ちはそう、まさに、「待ちすぎた僕は、疲れてしまった」わけです。

『自己実現』なんて眉唾なコトバに力は無い。けれど、『Reconquest(レコンキスタ)』ならば解る。とりあえず今は、サンボマスターでも聞きながら、もう少しだけ、昔懐かしい町を、散歩してみます。

無くした自分を取り返しに。


++++
追記
++++
今回のブログでとり上げた「共依存」については、以下のサイトで簡単な自己チェックができるみたいです。ご参考までに。

共依存スクリーニングテスト

|

« オトナのやり口 | Main | 老いへの願望 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24481/4037411

Listed below are links to weblogs that reference Reconquest:

« オトナのやり口 | Main | 老いへの願望 »