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April 11, 2005

君子も淑女も、ときには過去から逃げよ

思えば、僕ほど過去に拘ったブログ書きも中々居ないのではないだろうか。
真面目に数えたことは無いけれど、小生ブログの単語使用頻度の上位は「過去」「ルサンチマン」「変化」辺りで埋め尽くされているんだろうなあ・・・。低温の魅力?いえいえ根が暗いだけですよって。

さて、以前に「過去はたたかいの対象」であるということを述べた。
(⇒ご参照

もう少し付け足せば、これはどちらかと言うと、「自分が主体となって生産した、内心の持ちようで処理できる『過去』」というべきなのかな、と最近思う。過去は己が累々と築いてきたものであるから、己がある方向にシフトしたい・変わりたいという意思が有れば、「闘う」という選択肢は至極まっとうだと思ったからだ。
「闘う」なんて大仰な言葉を使ったけど、ほんの少しだけ自分の習慣を変えてみることや、新たな試みに首を突っ込んでみるだけでも立派な闘いだと思う。澱のように積み重ねた過去には、ボディブローで応酬だ。

とはいえ、「過去」は己一身で構築したものではない。

自分にとって重要な影響を及ぼす、空間や人間や事物がある。これを「対象としての『過去』」と仮に呼ぶならば、その「過去」からはどうすれば良いのか?「闘う」ことが必ずしも最良の策で無い場合がある。僕がここで考えたのは「逃げる」という策。

己が対象に直面して、十分に耐え得る地力を持ち得てないと思われる時には、闘わぬこともまた立派な策足り得る。無為ということではない、積極的に「逃げる」ということだ。

一個の人間が「変わる」という事には、或は「変わりたい」という意思には、時には他の何某かの阻害や精神的な圧力状況に遭うことも想定せねばならない。僕らが其処に対して真っ向から勝負を挑んで、どれだけの果実が得られるのだろうか。決めないこと、そして逃げることも立派な手だと僕は思う。そして自分に言い聞かす。

・・・時には、逃げよう。

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