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April 22, 2005

紙芝居

中間テストの朝はいつも、不毛な光景が繰り返される。

「今日の日本史マジやばい。あたし、ぜんぜん勉強しなかったし。もうダメだぁ・・・」

はいはい、解ったから。まずはその目の下のおっきなクマを誤魔化してから喋ってくださいな。
へたくそな演技力ながら皆が皆、「如何に自分が勉強しなかったか」自慢を繰り返し、わざわざコミック本を広げる者まで出てくる始末。そのくせ、「もうダメだぁ」な子に限って、しゃあしゃあと成績上位者欄に踊っているものだ。
思えば僕の高校時代のテスト風景はこうだった。きっと、日本全国でこうしたことは日常茶飯に繰り返されていることだろう。なんだか笑えてしまう。テスト勉強なんて年中行事なんだからさ、何を大真面目にみんなで演技しちゃってるんだよ。。。

***

昨晩、気紛れに前職の同期会に行った。春にこういう会を催すのは良いもんだ。

連中は社会人7年目、概ね三十歳前後である。
大学を卒業する頃には皆、もうすでに個としてのアイデンティティが確立されていたわけで、それは7年経とうとさほど変わるものではない。しかしそれなりに皆、意識をするしないに関わらず、社会の中で己の生きようが何がしかに絡め取られそうになることに対して、自覚しているようだった。

ある者は衒いなく自分の将来のビジョンを熱弁し、ある者は人生一度切りなんだからと何処かのポップ歌手が裸足で逃げ出しそうなことを語り、またある者は自嘲の中にもある種の自尊心を隠せずにいる。小さなセクトを作って、「あたしたちってこんなに変わらないよね」というポーズを決め込むものも居る。

居酒屋のトイレに向かいながら、こう考えた。

『中間試験の朝のクラスって、こんな感じだったよな』、と。
めいめいが自分の役割を理解しながら、せいぜい果たせる演技をしているのだ。そこには求心力も遠心力もなく、ただ真空が有るだけ。或いは自分たちがその場に居ることが茶番であるとしても、僕らは自分がプロセスとして生きていること・生きたことをこうして数年に一度確認し合い、自身が確認したいということに過ぎない。
畢竟、そこで繰り返される言説の確かさと、「あたし、ぜんぜん勉強しなかったし」という不確かさには、ほとんど違いなんて無いんじゃないのかな。

***

さあさあ、良い子のみんな、寄っといで!楽しい紙芝居の始まりだよ♪

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Comments

わたしは学生時代ホントに「わたし勉強してないんだよね~」って子でした。
「わたしも~」と言ってる友達が明らかにがんばってたのはわかってたんですけど、それは見て見ぬフリってやつで。
あの頃から演技ってもんをしない子だったんだなぁ・・・

Posted by: akari | April 23, 2005 at 09:06 PM

まあ、言ってる皆さんも立場を解って演技をつい、やっちゃうんですよね。。.
ある種の他人視点というか、自分をどう規定したいか、ということの気遣いなのかも知れませんね。

Posted by: かどぅ | April 24, 2005 at 01:16 PM

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