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April 30, 2005

オトナのやり口

蟻の行列ばかりを眺めていた昆虫博士・ヒデちゃん、鼻水を拭くもんだからいつも袖がピカピカだったタイちゃん、頼りない兄貴を支えるしっかり者の妹・ユカちゃん、小学生に入る頃の僕らはいつもつるんでいた。それはまるで20世紀少年のようだった。

隣町に抜ける竹薮から、ちょっとばかし脇に入った崖の裏に、僕らのひみつ基地は有った。小学校が終わるとすぐに、親や近所の小うるさいオバちゃん連中にバレないように段ボールやマンガ雑誌を山ほど抱えては、夕暮れまで時間を過ごしたものだった。
が、至福のときは続かない。折しもバブル経済前の時期、ほどなく僕らのひみつ基地も含めて、一帯は再開発の対象になった。近くにはショッピングセンターが進出した。子供向けの遊戯場やらゲームセンターに僕らが虜になるのにそう時間は掛からなかった。そして、ひみつ基地は名実ともに、存在意義を無くしてしまった。

自分たちで創意工夫しながら楽しくやっている場所を、オトナは平気で荒らしに来る。
いつの時代もそうだ。

+++++

僕は前々からNiftyユーザーなので、何の気なしにココログを使っている。こう言っちゃあ誤解を招くかも知れないが、ココログユーザーのコラムは面白い気がする。眞鍋かをり伊原剛志木村剛なんかも面白いことを書くなあ・・・と毎回グッときてしまう。著名人だけでなく、一般ユーザーのブログもこれまた凄く面白い。
・・・と色々紹介すると枚挙に暇が無くなってしまうが、まあ、古くはNIFTY-Serveやフォーラムを使っていたようなユーザーも居り、そもそも「表現」ということへの感度が高いひとが多かったのかも知れない。

そんなニフティは、昨年末にココログブックス・コンテストを開催することになった。そりゃあ、大抵のひとは、「あなたのブログが書籍になって、店頭に並びます」なんて甘言囁かれたら、目の色が変わります。そこまで興奮しないかも知れないけど、多少は期待しちゃうもんでしょ。
ところが選考過程やアフターケア等々も含めてニフティサイドへの不信感が募ることとなり、結果的には幾つかの優良なブログが閉鎖、移転ということになってしまった。

僕もそうだが、こうしてブログを書いている以上、何かしらを他者に伝えたいという願望がある。じゃなきゃ、自分ひとりで見る手帳にでもメモすりゃあ良いんだし。ひとの中に眠っている欲望をわざわざ引っぱり出すような真似をする以上、オトナはきちんとその落とし前をつけなくてはならないのだと思う。

「人気ブログには賞金を」「優良なブログは書籍に」

インターネットの功罪なのかも知れないけど、こういう個人の情報発信の商用化や、留まらないアフィリエイト・ブーム、なんというか、拝金主義のベールはこの国を何処まで包むのだろうね。

ああ、怖い怖い。

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April 25, 2005

自分のルーツを辿る

・・・年のせいなのか、どうなのか。

最近はどうにも、「ハマれる」ものが無くて困る。このままではザラザラとした不毛な三十代を続けそうだと、三十路突入三ヶ月目にして思う。ということで、昔はまったものから、自分のルーツを探ってみる。
今回のブログは、完全に俺の、俺による、俺のための備忘録じゃい!!
***

■小学生前半期(7-9歳:1982-1984):
・多くの子供がそうであるように、図書館にある怪人二十面相シリーズに嵌る。モーリス・ルブラン、コナン・ドイルを読み耽ったのもこの頃。目を悪くした。
・日本テレビ「笑点」は、この頃から見ていた。たぶん、深い意味は解らずであったろう。
・百人一首を百首覚え、天皇家の系図を初代から今上まで書いた。意味もなく暗記する癖があった。最初に覚えた歌は「もろともに(前大僧正行尊)」である。
・スポーツ方面の才能は無いものと、とっくに諦めていた。

■小学生後半期(10-12歳:1985-1987):
・京都から宮崎に転校。カバンが黄色いということで、全校中から注目を浴びる。卒業まで黄色いカバンを通した。
・子供向けの古典落語の教本を買ってきて、こども落語を始めた。近所の子供や婆さん連中に聞かせていた。
・「人間たるもの、他に影響をしなければならない」と思い立ち、転校早々、児童会に立候補。その後、卒業まで児童会役員。
・ちあきなおみ「喝采」、藤山一郎「東京ラプソディ」を口ずさみ、家ではクレイジー・キャッツの映画を見ていた。植木等的なスーダラ人生に、幼心にも憧れた。
・健康管理のため、毎朝5時に起きてマラソンを開始。持久走だけは得意になった。

■中学生時代(13-15歳:1988-1990):
・狙っていた中学に籤引き試験で落ち、不承不承地元の公立中へ。
・ルサンチマンを晴らすべく、1年生から生徒会役員に。自分が入試で落ちた中学校への対抗意識から、様々な行事や施策を展開。
・荒俣宏の「帝都物語」に触発され、オカルト研究会の「帝都会」を結成。風水だの、ヨリワラだの、タロット占いだの、色々と怪しかった。
・司馬遼太郎「燃えよ剣」に感動。新選組ファンクラブに入る。
・勉強は全然しなかったが、夜更かし癖が始まる。
・地元ラジオ局の番組「うまか情報局」にネタ投稿していた(当時大ファンだった地方局アナは、今ではキー局のテレビのレポーターで稀に見かける)
・中学校の放送委員会を生徒会権力で脅して、食事時に山崎ハコ「呪い」を掛けさせた。教師に殴られた。
・帝都物語のサントラを掃除時間のテーマ曲に。ヨハン・シュトラウスの「こうもり」など比較的まともな選曲だったように思う。
・小理屈をこねたり奇行が目立つ生徒だったため、中学の教員にはひどく嫌われる。ただし、対外的なイベントなどの実績が多少有った為、あまり表立って処罰は受けなかった。
・世は空前のバンドブームに差し掛かっていたが、民放2局しか無い田舎にはロック文化自体がほとんど入ってこなかった。イカ天見たかった・・・。
・なぜか、カイリー・ミノーグとか、デビー・ギブソンなんかも聞いていた。
・クラスの男子が昼休みにサッカーするのを尻目に、男一人で女子に混じってフルーツバスケットに参加していた。

■高校時代(16-18歳:1991-1993):
・深夜ラジオにはまる。大槻ケンヂのオールナイト・ニッポンを通じて、筋肉少女帯のファンクラブに。田舎の高校生のありようとしては結構マニアックだった。
・大槻ケンヂに触発され、趣味もずいぶん開花した。Emerson Lake & Palmer、The Doorsなんかを聴いていた。
・何を勘違いしたか、フォークに傾倒したのもこの時代。岡林信康、井上陽水、河島英五にはまる。
・まだ見ぬインドに憧れて、インド紀行本を色々と読む。オーケンの本とか、藤原新也とかね。
・この頃の関心は、「メジャーとマイナー」という事だった。いかにして、マイナーなるものがメジャーを凌駕できるかに興味があった。
・映画では、「ブルース・ブラザーズ」にはまった。正確に数十回は見た。
・湾岸戦争の様子を視聴覚室テレビで見ていたら、教師にこっぴどく叱られた。授業中だったのだ。「世界では戦争が起こっているのに、数学なんかやっとれるか!」と反論して、さらに叱られた。
・文化祭には命を燃やした。体育祭や水泳大会ではロクに見せ場がないからである。

・まったく勉強しなかったので、その後、大学受験に見事失敗。二浪する。

***
・・・ふう。。つまんねえ人生だな、オイ。これから何しようか思案してみます。。

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April 22, 2005

紙芝居

中間テストの朝はいつも、不毛な光景が繰り返される。

「今日の日本史マジやばい。あたし、ぜんぜん勉強しなかったし。もうダメだぁ・・・」

はいはい、解ったから。まずはその目の下のおっきなクマを誤魔化してから喋ってくださいな。
へたくそな演技力ながら皆が皆、「如何に自分が勉強しなかったか」自慢を繰り返し、わざわざコミック本を広げる者まで出てくる始末。そのくせ、「もうダメだぁ」な子に限って、しゃあしゃあと成績上位者欄に踊っているものだ。
思えば僕の高校時代のテスト風景はこうだった。きっと、日本全国でこうしたことは日常茶飯に繰り返されていることだろう。なんだか笑えてしまう。テスト勉強なんて年中行事なんだからさ、何を大真面目にみんなで演技しちゃってるんだよ。。。

***

昨晩、気紛れに前職の同期会に行った。春にこういう会を催すのは良いもんだ。

連中は社会人7年目、概ね三十歳前後である。
大学を卒業する頃には皆、もうすでに個としてのアイデンティティが確立されていたわけで、それは7年経とうとさほど変わるものではない。しかしそれなりに皆、意識をするしないに関わらず、社会の中で己の生きようが何がしかに絡め取られそうになることに対して、自覚しているようだった。

ある者は衒いなく自分の将来のビジョンを熱弁し、ある者は人生一度切りなんだからと何処かのポップ歌手が裸足で逃げ出しそうなことを語り、またある者は自嘲の中にもある種の自尊心を隠せずにいる。小さなセクトを作って、「あたしたちってこんなに変わらないよね」というポーズを決め込むものも居る。

居酒屋のトイレに向かいながら、こう考えた。

『中間試験の朝のクラスって、こんな感じだったよな』、と。
めいめいが自分の役割を理解しながら、せいぜい果たせる演技をしているのだ。そこには求心力も遠心力もなく、ただ真空が有るだけ。或いは自分たちがその場に居ることが茶番であるとしても、僕らは自分がプロセスとして生きていること・生きたことをこうして数年に一度確認し合い、自身が確認したいということに過ぎない。
畢竟、そこで繰り返される言説の確かさと、「あたし、ぜんぜん勉強しなかったし」という不確かさには、ほとんど違いなんて無いんじゃないのかな。

***

さあさあ、良い子のみんな、寄っといで!楽しい紙芝居の始まりだよ♪

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April 20, 2005

メディアと通信のあいだ

ホリエモン事変が一件落着したようだ。
僕は全く以って話題のニュースに疎いので、知った風なコメントすら出来ないわけだが、まあしかし、マスメディアに日々触れる人間として、何か一言言わねばなるまい。ということで、、

フジテレビも良いが、東京MXテレビはかなり良い。

“東京MXテレビ”
言わずもがな、東京都を放送対象地域とする独立UHF局である。略称MXTV。ライブドアは勿論のこと、下手したら「かどぅちゃんねる」よりも視聴率低そうなこの放送局(ちょっと言い過ぎか(爆))だが、なんというか、コンテンツは結構見所がある。

ちょっと前、関東のテレビっ子(こういう言葉も既に死語だな・・・)の中では伝説になった番組テレバイダーも、MXで放送されていた。(余談だが、僕はテレバイダーを見るために、土曜日は22時前にデートを切り上げていた位です、、)

水曜日ならば特撮の歴史的作品ウルトラマン、日曜日にはあの夏目雅子の名演光る西遊記、、こんな懐かし番組が、ふつーにやっている訳です。
アニメや特撮だけじゃない。視聴率の低さを逆手に(何処かで使ったフレーズだが(汗))、もう、モウロク爺さん達が言いたい放題な番組なんてやってるし。これがまた面白い。先週はいつものメンバーに加えて、吉村作治・西部邁・毒蝮三太夫の三人が加わって(こういう人選をできるってのが神業だと思うが)、もう収拾まったく付かない無法状態のトーク。

地上波の生温く無難な番組を見飽きたら、ぜひ、MXテレビを捻ってみてはいかがでしょうか?(東京以外の方、すみません!!)

つか、ホリエモンが狙ったりしねえかな、次あたり。
・・・有り得ねえな,,, orz

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April 17, 2005

未知との遭遇、過去との邂逅

(また過去についてのクドクドか!というお叱りは感じつつも・・・)
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対峙せぬ方が良い過去ってのが有る。

日々の彩りが鮮やかになるのも色褪せちまうのも、自分の意識次第だし、ひとは幾度だってそこから這い上がろう変わろうとする意図が有れば、何者にだって成れるはずだと思う。その深淵を覗こうともしないで、シタリ顔で腕を組んでても、布団被ってても、日々なんて何も変わらない。

現在を懸命に生きる覚悟を決めたひとにとって、自分が過去認定した場に生きる人間に会うのは止した方がいい、と思う。
それが意図的な出会いならばまず避けるべきだし、邂逅としてもあまりよろしくはない。現在を生きる覚悟のある人間にとって、過去は足枷のように自分を規定したがるものである。過去は回想の中に有るから美しいのに、出会ってしまえば現在のありようを損なうことにも成りかねない。

これについては、マキアベリの言葉をそっくり引用した方がいいのかも知れない。
「運命は時代を変転させるのに、人間たちは自分の態度にこだわり続けるから、双方が合致しているあいだは幸運に恵まれるが、合致しなくなるや、不運になってしまう。
私としてはけれどもこう判断しておく。すなわち、慎重であるよりは果敢であるほうがまだ良い。なぜならば、運命は女だから、そして彼女を組み伏せようとするならば、彼女を叩いてでも自分のものにする必要があるから。」(「君主論」運命は人事においてどれほどの力をもつのか、またどのようにしてこれに逆らうべきか)

話は脱線するが、老いってやつも人間にとっては、「衰え」ではなくて「進化」の一形態なのかも知れない。
ラマルクは進化の方向性を、単純な生物から複雑な生物へと常に一定の発展を遂げると考えたが、老いにより思索やモノの捉え方は一見固着化単純化するようでいて、その実、複雑な視点や決定のための諸要素が収斂されたと考えれば、これすなわち「進化」ということではないのだろうか。

・・・ガラにもなく、難しいことを書きすぎちまった。らしくないな。ということで、悪文をこれ以上連ねるのは止めにして、有名な歌の一節を以って纏めとしたい。つまり、

五番街で噂を聞いて もしも嫁に行って
いまがとても幸せなら 寄らずに欲しい

「五番街のマリーへ」

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April 11, 2005

君子も淑女も、ときには過去から逃げよ

思えば、僕ほど過去に拘ったブログ書きも中々居ないのではないだろうか。
真面目に数えたことは無いけれど、小生ブログの単語使用頻度の上位は「過去」「ルサンチマン」「変化」辺りで埋め尽くされているんだろうなあ・・・。低温の魅力?いえいえ根が暗いだけですよって。

さて、以前に「過去はたたかいの対象」であるということを述べた。
(⇒ご参照

もう少し付け足せば、これはどちらかと言うと、「自分が主体となって生産した、内心の持ちようで処理できる『過去』」というべきなのかな、と最近思う。過去は己が累々と築いてきたものであるから、己がある方向にシフトしたい・変わりたいという意思が有れば、「闘う」という選択肢は至極まっとうだと思ったからだ。
「闘う」なんて大仰な言葉を使ったけど、ほんの少しだけ自分の習慣を変えてみることや、新たな試みに首を突っ込んでみるだけでも立派な闘いだと思う。澱のように積み重ねた過去には、ボディブローで応酬だ。

とはいえ、「過去」は己一身で構築したものではない。

自分にとって重要な影響を及ぼす、空間や人間や事物がある。これを「対象としての『過去』」と仮に呼ぶならば、その「過去」からはどうすれば良いのか?「闘う」ことが必ずしも最良の策で無い場合がある。僕がここで考えたのは「逃げる」という策。

己が対象に直面して、十分に耐え得る地力を持ち得てないと思われる時には、闘わぬこともまた立派な策足り得る。無為ということではない、積極的に「逃げる」ということだ。

一個の人間が「変わる」という事には、或は「変わりたい」という意思には、時には他の何某かの阻害や精神的な圧力状況に遭うことも想定せねばならない。僕らが其処に対して真っ向から勝負を挑んで、どれだけの果実が得られるのだろうか。決めないこと、そして逃げることも立派な手だと僕は思う。そして自分に言い聞かす。

・・・時には、逃げよう。

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April 06, 2005

Fuzoku

言葉には、その人間に内在する無意識が投影されるものかも知れない。

弊社に、爽やかな言動と優しい人柄を絶やさず、誰からも愛されている先輩がいる。“好青年”と辞書で引いたら、こういう人物が例言に出てきてもおかしくはない。その先輩が会議中、プロジェクターを自分のPCに接続し、デスクトップの様子をスクリーンに映し出した。
整然と並んだ、アウトルック受信メールのフォルダ名、見てはならぬ文字が。

「Fuzoku」

おいおい、「風俗」なんてフォルダーつくってるよ・・・会社一、爽やかな先輩が・・・信じられない・・・。おそらくは風俗店情報だかメールマガジンだか何かなのだろうが、堂々とスクリーンに映し出されちゃっていることに、本人も気付いてない様子。見ちゃいけないものを見てしまった!!
僕は慌てて、後方のホワイトボードを指差し、皆の眼を逸らそうと必死に自分への注目を呼びかけた。弊社の「プリンス」に、傷が付いてはならないのだ。ブランド・イメージは僕が護るからね、王子!

ほどなく会議は終わり、先輩と飯に行ったとき、おずおずと聞いてみた。
「あの、先輩もオトコなんでしょうから、ええ、解りますとも。あの、メールフォルダに『エフ・ユー・ゼット・オー・ケー・ユー』ってありましたけど・・・?」
「え、何のこと?」
嗚呼、この期に及んで先輩は未だ知らぬフリをしている。こちらも気付かぬフリをするのがオトナってもんか?
「いやだから、さっきの会議で『Fuzoku』って受信メールフォルダーがスクリーンに映ってましたが。」

「ああーー『付属』のことね。僕の母校、教育大付属中のメーリングリスト用だけど。」

***
中国は周代、杞の国のある小人は、「天が落ち、地が崩れたら如何にしようか」と思い悩み、寝ることも食べることもできなかったという。(「烈子」)

・・・その日の午後、先輩のメールフォルダは、「Fuchu(付中)」に変わっていた。

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April 04, 2005

獲得コスト、維持コスト

「独り者なんだから、大丈夫だよね?」

よく言われる。ああ、確かに独身歴30年のプロで御座いますよ。独身だから、気軽に残業も頼めれば、朝までだって飲みにも付き合える、時間の使い方に関しては確かに余裕があるっちゃあ、有るように見えますだよ。
・・・見かけ上はね。

往々にして、既に妻あり子のある者は、独り身の若手に上記の言葉を投げかけがちだし、ある側面の真理を表している。じっさい僕自身も、飲みに参加するのは大好きだし、仕事もそこそこのモチベーションでやれる。
だけど、である。「独り者なんだから」ってえのは、説得の弁として如何なものだろうか。独身者を代表して言わして貰えば、僕らはみな、「負け犬」であり「もたざる国」であり「開発途上国」である。「獲得」のためには、「時間」こそが最も有効なリソース足りうるのである。

妻帯者は往々に、「家族サービス」を方便にしてある局面を回避することが可能である。しかし、だ。
家庭の維持管理コストと、家庭(候補)への獲得コスト、本来的にはどちらも同等に尊重すべきではないのだろうか。更に言えば、前者はLTV(ライフタイム・バリュー:生涯価値)的な視点が重要になるが、後者は比較的一過性のものが多く、イニシャル(獲得初期には特に)としてのコストは明らかに膨らむことになる。
配偶者だったら映画だけで満足だろうが、配偶者候補には映画にスイーツも付いてくる訳である。スイーツを与える時間まで奪われちゃあ、こりゃ、いつまでも獲得競争には加われやしない。

独り者諸君、今こそ、立ち上がろうではないか!

・・・なんつって。

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知識人共を嗤う

そもそも、山の登り方が違うんだと思う。奴等とは。

職業柄、なんて言うとそれだけで誤解を受けそうだが、戦略コンサルタントの世界は「ロジック」だ「智」だというコトバで溢れている。まあそもそも、カタカナ商売っていう時点で世間様にとってはある種の胡散臭さが有る訳であり、また、その胡散臭さこそが「未だ辞書では定義し得ない商売やっている」ことの矜持に繋がる訳だが。。
コンサルに限らず、「知」を売り物にする商売に有って、最近ではどうしても拭い切れない懐疑心もある(自縄自縛って奴かしら・・・爆)。

コンサルタントを例にとって言えば、僕らは「問題を解決」することが仕事であり、「解に導く」ことを生業のひとつとする。けど同時に僕らはしばしばこう言う言葉を発する。
「答えはお客さん(相手自身)の中に有る」
ふっと聞けば、はなはだ無責任な言い方ではないかと感じられる面もある。ここには賛否両論が当然あるだろうが、僕は、この回答は極めて真摯なモノ言いだと思う。僕らが担保しているのは、「お客さんの問題に対して選び取れそうな未来絵図」を差し出すまでであって(勿論、その絵図にも往々にある種の意図が反映されることは有るのだが)、「最終的な意思決定や心からの納得感、実行に移す力」までもコントロールすることはそうそう出来る事ではないからである。

しかし、だからと言って解を見つける作業を忘れる事は、何よりの怠慢だと思う。
知ある人は、多くの映画や文学・哲学書を読み耽る。いや、自分もそうだ。だからと言って、その知はハッキリ言えば、何の役にも立たないことが多い。こう書くと猛反論されそうな方面も感じるので、少しだけ弁解を付け足せば、「得た知を他の何某かに生かそうという気概もなく、ただ知を吸収するのは、垂れ流されるテレビ番組を観ているに等しい」ということを自覚すべきだし、目の前の人間の苦悩に応える言葉を捜せない自分を嘆くべきだ、ということである。

そう、これは、僕自身のことを言っているつもり。
知ある者は、知を遥かに凌駕する野性の経験を持つ人々に絶えず嗤われる可能性があり、知などモノともせぬ人々から好奇の眼に晒されるピエロである。そのことを忘れて高踏ぶった知識人ほど、痛い人種は居ないとすら思う。

・・・そして僕は、自身の登る山道をすら、探しあぐねる半端者である。

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「パッチギ!」

土曜・日曜、と仕事に捧げた週末。せめてものお慰みに、とレイト・ショーを慌てて観にいった。
前々から観たいと思っていた井筒和幸監督の映画「パッチギ!」です(以下、ネタバレ有り注意!)。

Pacchigi

いやはや、どの映画批評サイト観ても軒並みの高評価なだけは有りました。
在日朝鮮人の問題に学生運動、1960年代当時の時代背景が京都の町並みを巧みに利用して語られているわけです。まるでバラックのような在日朝鮮人部落の暮らしぶり、日本への強制連行の凄まじさなどの歴史背景も含めて、正面から語った製作陣のパッチギ度胸にも恐れ入りました。

溢れる暴力と葬儀、出産、朝鮮人と日本人の恋模様が、「イムジン河」を背景にカタルシスが与えられていくクライマックス。映画としては極めて良質の部類に入ると思います(井筒監督は、楽曲の力を借りて群像模様を収束させるという手法がホントに巧いと思う)。

しかし悲しいかな、昭和50年生まれの僕には、理解出来ない部分も残った。「イムジン河」が当時のラジオやテレビで自主規制されていた事も知ってたし、『パッチギ』することでこそ見えてくる『融合』があるということも、道理として納得できる。でも、僕の体液を総動員する程の感動までは至らなかった(それは滅多にない感動だが・・・)。

色々と自己心理を分析してみる。と、
どうやら、メッセージが明快過ぎる故に、僕には製作者サイドの意図が先に透けてしまうように感じて、純粋に映画に集中できなかったような気がする。メッセージを差し引いて残るものが、日本人と朝鮮人の恋模様だとしたら、僕には、行定監督・窪塚くん主演の「GO!」のほうが余程、痛い部分をうまく抉っているような気がする。
「GO!」の場合、民族問題をそこまでは明言していないものの、『ハワイ旅行に行きたいから、朝鮮籍から韓国籍に』という感覚、在日問題を片付けられなかった前世代に対して『ダッセー』の一言で窪塚君に代弁させる点、よほど現在の空気を反映したリアルを持っている。

制約の無い時代だからこそ、僕らは何処まで意味を感じながら生きることが出来るのだろうか。
所与のことと、そうでないこととの峻別自体が薄らぎつつある時代に、「ハワイに行くから、韓国籍を取る」ことの方が、リアルに感じられるなんて、なんと皮肉なことだろう。かつての目的は、50年の時を経て、手段に転じてしまったのではないか、とまで思われる。

いずれにしても、あのビッグマウス・井筒監督の、「のど自慢」以来の傑作であったことは間違いない。
また観たら感想が変わると思うが、、★4つ。

★★★★☆(満足!)

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April 01, 2005

今日をこえて

くよくよするのは もうやめさ
今日は 昨日をこえている

***

僕らが超克すべきこそ、過去。
けれど、深夜27時の鐘の鳴る頃、平静な気分じゃ居られなくなる。

この世に生きとし生きるなら、塵芥のようなものまで含めて多かれ少なかれ、様々な過去に絡め取られながら生きることになる。花は種子に、息子は父親に、娘は母親に、生者は死者に、己は経験に・・・。簡単に超克できないからこそ、過去は過去たる所以がある。ひとの一生なんて、或いは、積み上げた河原の石が誰かしらに蹴られる僥倖を待つプロジェクト(企み)なのかも知れない。

そういう意味でも、過去は時間の単純な積算ではなく、質量なのだ。

職業柄かも知れないが、ひとが過去に対しどのように折り合いづけ(少なくともその事による窮境から脱して)、次なる歩を踏み出せるかということに非常なる興味がある。甚だ私見だが、これは生存活動の上で最も苦しく難しいたたかいの一つではないかと思う。
過去は己が創ったものでありながら、頑なまでに、今日を明日を生きる力を奪おうとする瞬間がある。厄介なことに、観念は常に身に付随するもので、まなこを開いている限りは己に迫り続ける。場合によっては夢にまで登場する。

しかし、たたかわなければならないのだろう、詰まるところ。
これは勝ち負けの結果を求める為ではなく、戦うことでしか、次なる過去をこれまでの過去に対峙させ得ないからではないか、というのが僕の意見だ。古代ギリシャにおいて、"agon"(アゴーン:闘争・競争)が政治的にも重要な意味を持ったことと同様、ひょっとしたら、我々の生の根源には過去とたたかう仕組みがプログラムされているのではないだろうか、なんて思っている。

日常では別段、捨てる必要も克つ必要も感じないが、それでも、過去という名の底無し沼に生きざるを得ないカンダタ達に、スプーン一匙でも抗う術があればと思う。
・・・僕は、たたかう。

***
あんたにゃ 解るまい
今日を乗り越えて
明日に生きることなんか

-岡林信康「今日をこえて」(アルバム『見るまえに跳べ』より)

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