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January 06, 2005

瞬間する人生、再現する人生

田舎に帰省している時にやることなんざ、そう多くはない。

あの年末のごった返す空港では「ふるさとの訛りなつかし停車場の・・・(啄木)」てな句を思い起こすまでもなく、もう心は「回顧モード」に切り替わっているもので。かと言ってそれが積極的に生産的な何かの価値を与えている訳でもない・・・てな話はさて置いて。

ひさびさ田舎に帰り、回顧半分、自分の学生時代の授業ノートを手に取った。
我ながら驚くことに、整序された区画の中に色鮮やかに授業のメモが書かれている。思えば僕は、ノートが異常に奇麗だと言われていた。中学校の頃からペンと修正液しか用いなかったこともあり、消しゴムで消した後など作ったことが無い。テスト前には、クラスを跨って僕のノートのコピーが出回ることは多々有ったように覚えている。僕は訝しかった。己のノートを見ていて、薄ら寒さを感じた。自慢なんて1ミリもすべきことではない。
僕が自分のノートに薄ら寒さを感じたのは、異常に丁寧なことだけでなく、その動機だった。一体、何を目的に、このノートを書いていたのか。正直、書いた本人の僕も、ノートを作ることに懸命で、内容はすっかり忘れている。思い当たることがあるとすれば、「他人にノートを貸す/誰かが後で見る」ことが動機だった。
授業を楽しむでも、そこで学ぶでもない、僕は「あとから誰かに見てもらう」ことを目的のひとつに据えていた気がする。(一方で、その馬鹿丁寧なノートのお陰で、大学時代にはずいぶんと家庭教師・塾講師の際に役立ったが・・・)

旅行に行くときもそう。
美しい光景、旨い食事、楽しい会話。旅はその瞬間こそが楽しく、もう一度繰り返すことなんて出来ない。だからこそ、旅の醍醐味があるんだ。
・・・僕は馬鹿だ。旅するのは何か僕の中にある感受性のアンテナを総動員する瞬間なのに、その瞬間から既に「誰か第三者に伝える」方法を考えようとし始めている。誰のための人生?誰のために再現する必要があるのか?

こういう性質のせいか、僕は瞬間を楽しむことにおいて、随分と損をしてきたように感じる。
人生には繰り返せない瞬間や、取り戻せない邂逅がある。仮に僕が「再現できた」と思ったものも、それは僕というフィルタを通じての再現にしか過ぎない。正しく記述すること・記録することに、いったい何処までの価値があるのか。

・・・瞬間する人生、再現する人生。
僕はこれからも、ある行動を起こしつつ、その端から構築の手を止めようとしない自己と煩悶し戦うことになるのだろう。それでも詮無くも考える。再現し構築したい願望が和らげば、僕はもう少し「いまを楽しむ」ことが出来るのに、と。

i wanna be free!

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Comments

趣旨とはずれちゃうかもしれませんが・・・
わたしは学生時代ノートをとったことがありませんでした。テスト勉強は全部教科書を見ながら。それでもなんとかそれなりの点数は取ってました。
旅行に行っても、写真は一切撮らず。
わたしは、頭の中に残らないものは自分にとって必要のないものだ、と思っているのかもしれません。だからそれを他人に伝える必要もないというか・・・
なんだかまとまらないですけど、かどぅさんのblogを見ていて、こんな自分を思い出しました。

Posted by: akari | January 07, 2005 at 08:06 AM

 僕の場合blogも似たところがあります。本来は自分の体験や感じたことをblogに書くべきなんでしょうが、blogに書くことを前提に行動しちゃう、blogが行動を規定しちゃうみたいなことです。こういうこと人様のblogに書いてること自体とっても恥ずかしいことではありますが。
 そうそうノートは借りる側の人間でした。

Posted by: 盥アットマーク | January 07, 2005 at 10:03 AM

◆あかり様
>わたしは、頭の中に残らないものは自分にとって必要のないものだ、
>と思っているのかもしれません。だからそれを他人に伝える必要もないというか・・・
そういう考え方も解る気がします。
重要なことは大抵覚えているもので、記憶に残らないのは左程影響がないから、ということでしょうかね。。わたくしの場合には、情報の軽重を問わず、「ひとに伝えることありき」でモノを考えてる点が我ながら、訝しく思うところです。。
なんなんでしょうね。。

Posted by: かどぅ | January 07, 2005 at 06:22 PM

◆盥アットマーク様
>blogに書くことを前提に行動しちゃう
>blogが行動を規定しちゃうみたいなこと
同じブログ書きとして、よくお気持ちは解ります。僕もまさに同じような行動を取る瞬間がありまして。。
そのまま身に起こったことを、まさに日記然と書いたら、身体性が強く出過ぎてしまう。かと言って、ある程度のリアリティは求めたい。
インターネットで自己を表現するひとには、ある程度通底する思いもあるですね。。
確かに恥ずかしいけど。

※敬称抜けておりました・・・申し訳ないです。。

Posted by: かどぅ | January 07, 2005 at 06:25 PM

なるほど~。勿論私は綺麗なノートのお世話になってきた人間ですが(笑) 再現する事を前提に行動する気持ちはしみじみと身につまされるところがあります。でも、、、たぶんそんな性分を一度生きてしまうと、構築など関係なくただ感じて消費して忘れていく繰り返しはきっと味気なく感じるかもしれませんよ~ ^^;(以前同じような実験生活をしてみましたわ)
なーんて詮無き事を考えて煩悶するのもまた「いまをいきる」ではありませんか~! なーんてぼんやり生きてる身で言えた柄ではありませんが m(__)m

Posted by: たま | January 09, 2005 at 02:01 AM

◆たま様
>たぶんそんな性分を一度生きてしまうと、構築など関係なくただ感じて消費して忘れていく繰り返しはきっと味気なく感じるかも

胸のつかえが下りる気持ちです。
当たり前のようで自身あまり気づかないことでもありますが、僕は構築を楽しんでいるのかも知れないですね・・・。
そして、構築のない生活を想像してみることも重要なシミュレーションなのかも知れないです。いつもながら、たま様には色々気づかされまして。。ありがとうございます!!

Posted by: かどぅ | January 09, 2005 at 03:44 PM

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