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September 18, 2004

優しさと甘やかしの境界線

ロッタ様blogの、『見本を見せるのではなく自力で歩かせる』にTBをお送りしております。

見本を見せるのではなく自力で歩かせる

僕の生まれ育った街は、なんというか、古き良き「ご近所付き合い」の盛んなところでして。
世話焼きのおっちゃんや、ちょっとお菓子を分けてくれるじいちゃん、何かと言えば声をかけてくるおばちゃんも沢山居ました。いまの東京の暮らしでは考えられないけど、ご近所さんに「ちょとお醤油切らしちゃったから、貸して」なんてな光景も、珍しくなかったんです。ひとことでいえば、「外界への関心が高くて、悪く言えば、他人の領域にずけずけ入ってくることに遠慮のない」街でした。
それから20年近くが経ち、東京に住むようになり、僕は何年も住んでるマンションの隣の住人の顔も見たことがない。無関心でいることが当たり前だし、何か他に対して関心があることのほうが珍しいことのように感じられる瞬間すらあります。僕は大学で「政治的無関心(ポリティカル・アパシー)」を研究テーマに扱ったのも、こういった社会的に無関心を許容することの原因を探ってみたかった、という想いがありました。ま、政治的無関心の問題解決はちょっと遠大な理想のような気もするので、今日は身近な話をば。

生まれ育ったその街では、平気で近所の子供を叱る他人に溢れていました。
何か間違いをしでかしたときなんかは、親が目の前に居る・居ないなんて関係なく、きっちりと「ケジメ」をつけられてました。ちょっとしたマナーも言葉遣いもそうだし、先輩後輩関係やら長幼の序や動物への愛護なんかについて、僕らをつかまえてはあれこれ説教してくれたもんでした。あの頃は無かった日本語ですが、アカの他人からのそうした指摘を「うざい」と思うことも、正直少なくありませんでした。

それがオトナになり、いま思うのは、叱ってくれる誰かこそ本当に少なくなってしまったという事実です。受容する側の感度が鈍ったのかも知れない。変わってしまったのは自分のほうかも、知れないけど。
例えば、先輩・後輩の関係なんてそれほどご大層なものではないと思うけど、「誰かのためを思って厳しく伸ばす」ことよりも「仲良しぶってトモダチ然と振舞う」ことのほうが自分にとって利があるから、そう行動してしまう。すごく利己的な態度だと思う。でも実際のところ、下手なお説教やくどくどした筋論の話なんかよりも、そういうことは指摘しないで仲良く関係を続けるほうが、受容されることが多い。まあ、誰だって聞きたく無いもんね、くどくど話なんて。

本質はただの甘やかしに過ぎないのに、それが「優しい」というポジティブ・ワードでくるめられてしまう。「ときにはキビシクいく」なんてことをやった日にゃ、嫌われちゃうリスクのほうが大きいもんね。ま、誰だって嫌われたくないわけだし。そうして、優しさの罠は、誰かをスポイルさせる。どちらが本当の優しさなんだろう。

正直、こうした態度を取っちゃうひとのことが解らなくもない。何かしらの要因や過去の経験があって変質してしまうことだってあるし、外界に積極的に影響することに対して臆病になってしまっていることだってある。気が弱いひとだって居れば、思慮深く行動に移すひとも居る。一概には「すべからく積極的に他人に関与すべき」なんて言えない。
けれども僕は思う。社会生活を送るんだから、他人と関係し合い、影響を受け合ってナンボだろ?って。僕みたいな無神経ヤロウばかりでは構成されてないし、他人はそれぞれ違う価値観があるんだから、それを尊重すべき、という価値相対主義みたいな物言いもあるだろう。それでもなお僕は、他人への関与が持つメリットは、関与しないことを上回るはず、と思っている(この点にご意見ある方、どうぞよろしう)。

とはいえもちろん、相手のステータスや人柄や、行動の動機やら受容の際に想定される態度やらを、十分に斟酌・忖度して「キビシク」接するかどうかを考えなきゃいけない。誰に対しても、頭ごなしに同様に接していては、とても特定個人には届かないからね。それにしても今一歩、これは自戒も込めてだが、外界に対して踏み込む勇気が欲しいな、とは思います。

・・・自分、古い性分の人間っすかね?

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Comments

う~ん、良い記事ですね。ということはやっぱり私も古い性分の人間なのかな?
40年近く前の東京では近所の子でも叱ると言う風習が残っていて、私もよく叱られました。
子供に理解される大人なんて考えはこれっぽっちも無かったようです。
だから大人と子供の領域がはっきり区分けされていて、子供は大人に認められるために成長していく感じでした。
なんだか「金八先生」あたりから子供に変に擦り寄る大人が増えてきたような気がします。
人を理解し受け入れることと、おもねることは違うのですが、それがごっちゃになってしまうことがわたしの中で時々あります。

Posted by: mikio | September 20, 2004 at 01:08 AM

地方も都会もなく、以前の東京でもそのような風習があったんですね!なるほどなるほど。

確かに妙に物分りの良い大人が増えたような気もしますし、「金八センセーあたりがその萌芽?」という洞察も腑に落ちる感じです。

ひとつのキーワードは「価値相対主義」なのかな、なんて思いますが、「ひとに迷惑をかけなきゃ、売春も、ドラッグも、自殺もOK」みたいに言うひとだって居ますよね。
うーん・・自分としては妙な違和感あるけれども、これを説き伏せるだけのはっきりとした説得材料が見つからないのも事実です。もちろん、理詰めの世界では無いから難しいという部分もあります。

>人を理解し受け入れることと、おもねることは違う
もまさしく仰る通りでして、僕もこの両者が行動レベルではなかなか区別できなくて悩んじゃうこともある。それゆえこういう記事を書いている次第なのです。。

もう少し整理とOJTが必要なのかも、知れませんね。

ーー
かどぅ拝

Posted by: かどぅ | September 20, 2004 at 03:32 AM

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