« サーチエンジンは何処まで進化する? | Main | 人生が、二度有れば »

September 07, 2004

知ることから逃げるために

あるサイトで、議論勃発している状況に出くわした。
争点は非常に単純明快。いま話題の映画に関して、「思想信条上の理由で観たくない」と頑なに拒む者と、「観ないことには価値判断ができない」と観ることをしきりに勧める者。双方がお互いの立場を譲らないのだ。

そういえば、2ちゃんねるなんかで、「↑このリンクを踏んでみて。すっごいオススメ!」みたいな書き込みに騙されてリンクをクリックしては、酷い目に遭うことも決して少なくない。『好奇心、ネコを殺す(Curiosity kill the cat)』の諺の如く、知らなくてもよいことを知りたがるために、かえって墓穴に至ることもある。(←おバカです・・・)

それにしても、これだけインターネットが世の中に普及すれば、クリックひとつで世界中の映像文物にアクセスしうると言っても過言ではない(ちょっと大袈裟だけど・・・)。しぜん、我々の多くにとって、「観る」「観ない」の判断は極小化することになり、脊髄反射の要領でクリック行為をしてしまうこともまま有る。
こんな時代では、「観たくない」「知りたくない」という選択をすること自体が、なんだか間の抜けたことのように思われるのはしょうがないことだ。「知る権利」って言葉は有っても、「知りたくない権利」なんつう言葉は無い。極論すれば、知らないこととは、恥ずかしいことであり、欠落した状態を示すことであり、『知りたくない』ひとの存在なんか、構っちゃ居られない訳なのだ。

では、「知る・知らせたい」或いは「見せる・見せたい」暴力から僕らが逃れるためには、どうすればいいのか?
結論から言えば、この種の暴力から完全に逃げ隠れおおせることは不可避だと思う。悲しいけれど、それが現実。知ってしまった以上、健忘にでもならない限り、知らない以前の状態に戻ることなど出来っこないんだから。時間は元には戻らない。

けど、受容や知覚認識に際して、心の有り様で軽減させることならば、辛うじて出来なくも無い。僕の試案だけど、次の方法なんてどうだろうか?
 ①危機を察知したら、近寄らない(感度を過敏にすることでの回避)
 ②積極的に知るも、あまり深くは考えない(感性を磨耗させることでの回避)
 ③相手を、自分自身を騙す(心の持ちようを操作し、都合よく解釈する回避)
あまり良いアイデアではないけれど、この3つあたりが現実的なソリューションだと思ったりもする。

①は、ふだんより感度をなるべく過敏にして、知ることで自分が不幸になることを避けるアプローチ。もともと察しの良いひとや、習慣からの法則性を見抜けるひとならば、このアプローチが有効になるかも知れない。ただし、知っておけば良かったかな、という後悔が残る可能性は無いとは言い切れない。
②は、経験値を上げるやり方。どんなお化けも、どんな不気味さも、馴れれば怖くないの理。その個々人の経験曲線の伸び次第だとは思うが、思考の断絶性・継続性の操作力が必要になるだろう。ただし、楽しいことや悲しいことに馴れ過ぎるために、簡単なことでは感性がときめかなくなるという不毛に苛まれるかも知れない。
③は、かなり高等だと自分自身は思う。強いて言えば、楽観性や精神的タフネス(回復力の高さ)の要素が必要なのではないか?武者小路実篤の短編小説に「お目出度き人」というのがあるが、あの主人公はまさにコレ。身に降りかかる、知らずに居れば幸せな事物も、こういう人の前では意味を成さないだろう。ま、滅多には獲得できない能力だろうけどさ。

色々書いたが、この時代、いや、これから先の時代はますます、知ることからどう逃げるかが重要になるのではないかと勝手に想像している。「百聞は一見に如かず」、経験による価値の重要性をボクはまっこう否定するわけではない。しかし、せめて、ボクのような一部の臆病者や偏屈者にも、「知らない」という選択肢を残している世の中で有って欲しい。そして欲を言えば、この世の中に「知らない領域」を健全に保持する仕組みを残していて貰いたいもんだ、と思う。

・・・ゴマメの歯軋りって奴だけどね。。

|

« サーチエンジンは何処まで進化する? | Main | 人生が、二度有れば »

Comments

力作、一気に拝読いたしました! m(_ _)m
確かにわたし自身も「こんなもん見なきゃよかった~」と後悔することが、多々あります。(でもこりずにまた見に行ってさらに傷を深めます、、、爆)
それでも実のところ、この記事を読んでいて考えたのは本題の「知る/知らない」よりむしろ、先日の「オトナになる」という話題でありました。
かどぅさんがおっしゃってる3つの方法って、どれも「オトナ」として世間をつつがなく生きて行くための処方箋としても読めるし、しっかり機能するように思います~。
さて、どの戦略を採るか。。。

Posted by: たま | September 07, 2004 at 12:13 PM

>たま様
お褒めに預かりまして、たいへん光栄です!!

そうですね、確かに「知る・知らない」という行動の背景には、「未知なものや、疑わしいものにどういうスタンスを取るか」という、オトナならではの考え方(構え方)などが有るのかも知れません。。
最近思うのは「外界をしっかりと意識・認識して受容するのとしないのとでは全然、具合が変わってくる」ということです。同じ事物を見ても、感じ方が変わってくるだろうし。

若干逸れたかも知れませんが、どの戦略が自分に合うか、組み合わせが可能かなどなど、外界や自分の事情に合わせて使い分けるのは面白いかも知れませんね。。

また、よろしくお願いします!

Posted by: かどぅ | September 07, 2004 at 06:03 PM

>「知らない」という選択肢を残している世の中で有って欲しい。そして欲を言えば、この世の中に「知らない領域」を健全に保持する仕組みを残していて貰いたいもんだ、と思う。

なるほどですね。非常に面白いです。
情報と個人のアイデンティティの絡みを考える時期かも知れないですね。

PR会社に知り合いがいまして、彼らの手法について知ったときに、もうTVで「もんた」なんか見るもんかと思いました。
知らず知らずのうちにインプットされている情報の恐ろしさもありますね。まるでスパイウェアみたいです。

Posted by: mikio | September 09, 2004 at 06:37 AM

>mikio様
そうなんですよね。

仰る通りで、情報の作り手側にもかなりの部分で作為があり、ある種の仕掛けの中で伝播していくという性質があるんですよね。無自覚にボーッと見ていると、それだけで取り込まれちゃう可能性だって有る。

僕はそのつくり手の作為と戦えるほど立派ではないので(実は情報操作の側の人間だったりもするが・・・)、消極的かもしれませんですが「逃げ道」という手段を思いつきました。。

真っ向から向かうことだけが、戦う方策というわけではないですもんね。。

Posted by: かどぅ | September 09, 2004 at 03:29 PM

>真っ向から向かうことだけが、戦う方策というわけではないですもんね。。

そのスタンスはいいですね。

Posted by: mikio | September 09, 2004 at 03:40 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24481/1374859

Listed below are links to weblogs that reference 知ることから逃げるために:

« サーチエンジンは何処まで進化する? | Main | 人生が、二度有れば »