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August 19, 2004

個の心性を考える-2つの軸-

前のコラムからの続き。

さきのコラムでは、公私・個集という軸で「自分」の意識を色々と考えることができるのでは、という論を紹介した。さて、人間というのはきわめて多面的な動物で、状況や組織のありように応じて、それぞれの立ち位置や心の持ちようを自在に変幻させることも必要となる。先ほどの二軸で考えると、それぞれの象限ごとに次のような心性がシンボリックに考えられるのではなかろうか。(勿論、下図に示す心性はシンボリックなものを配してあるわけで、これが全てではない)

chart2.JPG

一介の「自分」は、この軸をめぐり様々に煩悶と葛藤を繰り返す存在である。
いち個人の中でも、公人と私人の区分が難しい(例えば芸能人なんかがその好例)ことは言うまでもないが、ここでは『人格心と情緒心』の中で煩悶が起こっていると言えよう。
集団に関わる中でも、『帰属心と規律心』の葛藤もある。たとえば、企業である命令を受けた際、その命令に背くことのほうがその企業への真の忠誠を示すことになる、という場合もある。こういうときの解決法はやはり、集団における「議論」ということになろう。
己の公人性の中にも、『人格心と規律心』の衝突は起こりうる。上司の命令や周囲の期待に従うことで、自分の人格が汚されていくという場合なんかがそうではないだろうか。新撰組副長の土方が、己の真意とは別に組織内の規律を保つべく「鬼の副長」として振舞ったのなどはこれに当たるのかな、なんて思う。まあ、現代には鬼の副長も居ないわけで、こういうときには組織において「法律・ルール」が発展して不幸を避けることが一般的な解でしょう。
最後に『帰属心と情緒心』だが、人間は何処まで集団的な利益のために感情を犠牲にできるか、ということがここでのテーマだと思う。帰属心からすれば戦争に行くべきだと思っても、いち人間としては戦いで傷つくのは嫌だ。こういうときに帰属と感情の狭間でひとは煩悶する。そして、この煩悶を解決するために「道徳」は成熟する必要がある。

たまに昼間の商売の話をする僕だが、昼間の仕事で僕が所属している組織は極めてこの辺の議論が曖昧な部分もある。まあ、これはいずれの組織でもいえることなのだろうが、個々の成員が上図の象限の何処を重視し、それぞれの態様や周囲の状況に応じて、何処まで柔軟に心性を操作することが可能と考えているか、将来的にはどういう方向性を持った人物を揃えようというビジョンがあるのか。
実はけっこう、根本的な議論のはずなのだが、なかなかどうして難しい。やはり、人間の本性に関わる部分は最も解決が困難ということなのだろうか。。

またじっくり、どこかで考えてみます。

(参考:西部邁「リベラル・マインド」「保守思想のための39章」)

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