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August 19, 2004

外界との距離感を斟酌する

この頃では、外界との距離の取り方がますます解らなくなってきた気がする。

曲がりなりにも政治学をやってきたこともあり、「外部との関係構築」や「政治的な振る舞い」みたいなものに対して、一家言持っているように思われることもあるのだが、実はあまり人間関係の形成はうまくない。むしろ下手である。
親しいひとに対して示す発言が相手の懐中に刺さらなかったり、意図せざる方向で汲み取られたりも多々ある。実はアート(技術)としての言葉の使い方があまり上手でないのかも知れない。

さて、こういうことに思いをめぐらしているとき、ある論を思い出した。論壇の重鎮・西部邁翁の著作。
西部邁といえば、オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」に関する議論で知られている(オルテガについては僕も昔感銘を受けたことがあり、私論はいずれ何処かで披瀝したい)が、ここでは、西部翁の考察する「自分のなりたち」に関して考えようと思う。まず、次の図をご覧いただきたい。

chart1.JPG

西部は自己意識のありようを考える上で、公と私、個と集という二軸を用いている。公・私の概念軸は、道徳や法律などのルール付けと保護されるべきプライベート領域との関係を指す。学校でいう授業時間と放課後、職場でいう就業時間とアフター5と思えば解りやすい。個・集の概念軸は、ある種の慣わしや文化を強調することとインディビジュアルとしての感情へのこだわりとの関係を指す。ただ実際には、組織人として振舞うことと個人として振る舞うこと、この線引きは非常に難しい部分もあるが。

さらにはそれぞれの軸の中で個人がどういう精神構造におかれ、意味付けされるかが、思考・意識のポジショニングをする上で重要になる。続きは次のコラムで展開することにします。

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