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August 28, 2004

お釈迦さまの手の平で

立秋を過ぎると、街はあっという間に秋の匂いに包まれる。
行く夏を惜しむ気持ちよりも、次の季節への期待感が先んじて心を支配しそうになる瞬間。人間の感情や言説は簡単に外部のモノゴトで操作される。だからこそ、面白いのかも知れない。

さて、少しばかし、世俗の話をしてみたい。

コンサルタント仕事をしていると本当に凄いと思う人にたびたび出遭うものだが、今回取り上げたいのは、「話のディレクション能力の高い人」。
往々にして、「コンサルタント=先生」と巷間で思われている節もあるが、僕自身はコンサルタントの語源とも言われている、「Con(一緒に:“together”)+Sult(座る:“sit”)」という定義に従いたいと思う。さて、「一緒に座る」が語源だとすれば、あらゆる「(誰かと)一緒に座って物事を行う商売」はこれ即ち「コンサルティング」と言っても過言ではないだろう。医者もそうだし、キャバクラ嬢もそう、ホストも、易者も、みんな、コンサルタント。

「一緒に座って話をする」以上、ある程度の話芸は求められよう。
単に独善的に話をするようではうまく行かない。相手のプロファイルや表情や情況といった与件をもとに、融通無碍に話題を展開することがここでは重要だと思う。僕が驚いた「話のディレクション能力の高いひと」は、この能力がきわめて高い。
口数が多く、話がうまいからと言って、この能力が高いわけじゃあない。「ディレクション能力」とはむしろ、ある意味で受身であるように見えながらも、何故かこちら側の話が引き出され、話し易い空気を作ってしまう誘導力のようにも思う。老獪なテクニックのようにも思うが、実は老若はあまり関係ないようだ。
共感に目を輝かせ、素直な頷きと爽やかな持論を間に挟み、ときにはトボけたフリやだまされたフリをしながら、しかし何故か、話題の発端はすべて相手側から振られてしまっている。帰りしなに、「あれ、なんか気分よく話せちゃったなあ・・・」とこちらがようやく気づいたときには、既に相手の術中に嵌った後だったと知る。

何かを主張したいときに、「自分は、僕は、アタシは!」と強調するのはごく普通の方法。
いかな物語や作品に出会っても「あたしはこう思う」と、自分の居場所を崩さないひとも居る。それはそれで重要なことだと思うけど、僕にとってさらに高等なテクニックに思えるのは、相手からその「思い」を引き出し語らせた挙句に、自分はその中に持論を少し塗して余韻を残すやり方。これは後々に残る。
多くの場合、他人から何がしかの話を引き出す技術が上手く、それが自然であればあるほど、その能力の高さに気づかないものだ。これは、季節の変化が僕らの感情や言説に影響を及ぼすのとどこか似ている。慎重に気に留めなければ、季節や外界の微妙な変化には気づかないことは多い。けど、それがこちらサイドに与える影響はけっして小さくない。

翻って自分を考えると、どうもこれほどの技術を身につけるような本性も嗜好も持ち合わせてないらしい。こうなったらもう、好きなように踊らされるまましかないのでは???

せいぜい、上手に踊ってみよう。

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August 21, 2004

喧嘩売りの技術(若造編)

井筒監督の映画批評見たさに、金曜日はテレ朝「虎の門」をひたすら待つ。
今回は、話題のマイケル・ムーア監督「華氏911」。井筒評は、ムーア監督の枝葉末節なまでのブッシュ叩きと、ドキュメンタリーとしての完成度が必ずしも高くないという点で酷評していた。「ブッシュが反論しないわけが解った。この程度のレベル(枝葉を取り上げて、大声であげつらう手法)のものに、ムキになる必要がないからだ」とも。ボク自身は、実はまだ華氏911を見ていないのだが、井筒評からのみ推測される部分がある。それは、

『マイケル・ムーアの喧嘩の売り方は正しい』

ということだ。以下、ボクの持論と経験則を交えて考えてみたい。(傍らのTVではまだ、井筒監督が文句を続けているが、それはさておき・・・)

正しい喧嘩の売り方と、間違った売り方がある。ボクの定義では、「相手の力量を測った上で、自分の事後のプレゼンスを上げる効果がある喧嘩かどうか」が、正しいか否かの基準となる。ここでは、ジハード(聖戦)だとか、大義があるか無いかなんてことはどうだっていい。
労多くして果実の少ない喧嘩は、泥沼型。双方変わらぬ程度の体力で、血で血を洗う争いになったが最後、周囲の関係する人物を巻き込んで、政治的にも美学としてもよろしくない構図を作り上げてしまうもの。米ソ対立なんて、この典型だったかも。あの場合、“Hot war”にならなかったのがせめてもの救いだった。

・・・さて、では正しい喧嘩の売り方とは?

ボクが入社1年目だか2年目のペーペー時代にそれは起きた。そこそこの存在感があったいち同期が、やってくれたのだ。
彼はこともあろうに、当時会社のNo.3であった取締役に食って掛かった。その取締役の日常行動に関わる部分を、アンオフィシャルな場所で、社会人的なモラルに即した正論で批判した。ボクはその現場に居合わせたわけではないが、少なからぬ者がそのとき、「彼はこのまま無事では済まされないぞ」と思ったらしい。生殺与奪権を握る役員のこと、一介のペーペー社員をクビにするくらいは造作もない。(ま、実際はそう簡単ではないけど)
大方の期待に反して、彼は何のお咎めも無かった。どころか、その直後から、彼は同期連中の中でも一目置かれるようになった。「あんな風に役員に対して食ってかかれるなんて凄い。大したもの(狂気?)だ」と。

ボクは最初から、全く違う見方をしていた。
そして、別な意味で彼に感心していた。それは、「こいつは喧嘩の売り方を知っている。中々にリアル・ポリティックスを解ってる奴だ」という点で。
中間管理職ならともかく、若造がいくら吼えようと、それを真面目に取り合うトップなど普通は居ない。真面目に取り合った瞬間、器の小ささが露呈してしまうので、体面上取り合うこともできない。トップはそういうジレンマを持つ。また器量の大きなトップであれば、彼の名前を記憶に留め、その気概をプラス評価に転じさせることだってある。
一方、若造にとって喧嘩を売ることが持つメリットは大きい。極めてリスクの少ない相手に対して、喧嘩を売った実績を残すだけでなく、手っ取り早く名をあげることまでできる。相手の不戦敗は目に見えている。うまくいけば、周囲の者からの賞賛まで得られるというオマケ付きだ。

同世代や2・3年次程度上の者に売った喧嘩だったら、こう簡単に事は運ばなかったのではないだろうか、とも思う。現在、彼は6割以上辞めてしまった会社の中で未だ生き残り(ちなみにボクもとっくに辞職済)、同期よりも早いスピードで出世の階段を突き進んでいる。みんなして、彼の「ポーズ」にやられてしまったわけだ。

冒頭でマイケル・ムーアの喧嘩の売り方の正しさ、を述べたのはこういう観点から。
おそらく正面から真面目には取り合わないであろうブッシュ大統領を、小さいところから丹念に調べ上げて叩いた。そのことで、映画としての話題性と、監督としての知名、そして、タブーに挑戦したという侠気と、周囲からの賞賛などなど、、、ムーアは全てを手に入れた。なかなかにポリティックスを解ってる行動だ。

ボクが喧嘩の売り方に技術があることに気付いたのは、20代も後半になってからであった。ちとばかし遅い。
少なくとも、喧嘩売りの上手な中年には成りたいものだ。

※追記※
そういえば、ライブドアの堀江社長もナベツネさんに喧嘩、というか噛み付いてましたよね。
「新旧対決」という感じの世代闘争論に持っていったのも上手なやり方だし、水面下の動きはわかりませんが、案の定、ナベツネは「そんな若造は知らん」と相手にしないそぶりを見せました。結果、ホリエモンは企業株価も評判株価も上がったわけで。

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August 20, 2004

ココロに残る名言

「ロンブー、渋谷の監視カメラのモニター室に住めばいいじゃん?」(長井秀和)

・・・心に刺さった。

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August 19, 2004

競泳男子100m平泳ぎ

人生には勝たなきゃいけないいくつかの場面があるそうだが、期待されている場面できちんと結果を出すオリンピック選手たちには、もう、感動を超えて畏敬の念すら感じてしまう。同じ一個の人間ながら、極限の緊張感の中で、神の宿る瞬間があるというのはこのことなのだろうか・・・。

kitajima.JPG

僕は何処からどうみても、水際の人間ではない。というか、船では船酔い、山では高山病、空では飛行機酔い、車を運転したら運転しながら吐いちまう。なんというか、冷暖房の調節された平地の空間でないと実力(何の実力じゃ?)を発揮できないヤワな男なんです。。
そんな僕が、恥ずかしながら、ほんとに恥ずかしながらも、一度だけ水泳大会に出たことがあるのは高校生の頃。後にも先にもプールで競泳したのはあの時だけだろう。
3歳で児童用プールで呼吸困難になったのが最初。11歳のとき地元の海に行き、東京から来たOLさん2人組に気を取られているうちに沖まで流され、監視員の世話になったことも。ほんとに水とはとことん相性の悪い僕が、何かの嫌がらせとしか思えないんだが、クラス対抗の100m競泳の試合に出ることに。断ろうかとも思ったが、当時好きな子も居たわけで、なんかたまにはスポーツしてる姿も見せねば、というヤマっ気もあった。

試合当日になって、選手オーダーを見てマジ、びびった。
同じレーンには水泳部員も居れば、スポーツでならした奴なんかも居た。そんな中、何故、百人一首部のボクチンが・・・?
申し訳無さで一杯になった。平泳ぎは何とか大丈夫と思っていたが、全然大丈夫じゃない気分だった。飛び込んでからはもう、すぐに、呼吸の困難と手足のリズムが狂っていくのをまざまざ感じた。50mプールの半分くらいまで来て、ようやく平静な呼吸を取り戻して、自分のペースで顔を上げられるようになる。きわどいながらも、なんとか50mに到達。ターンして折り返し、ふとゴール向けて顔を上げる、と。

「!?」

信じられないことに、全員、ゴール済みであった。真ん中レーンの僕は自分の泳ぎに必死で、他の7つのレーンに人影が居ないのを訝しく思う暇すら無かった。焦りは泳ぎのスタイルを乱した。平泳ぎから犬掻き、犬掻きから立ち泳ぎ、バタ足、もう、何処が平泳ぎなんだ、、でも、足だけは付けないぞ!
その様子は、観客席からはどう見ても、溺れているようにしか見えなかったようであった。僕の50mぶんは常人の100m以上に相当するわけで、まあ、優雅なプール占有タイムに「これでもか」と溺れっぷりを見せ付けてやった。放送部のアナウンサーの声が惨めに響く。「4コース××くん、頑張れ、頑張れ!」
『公開溺死してやろうか?ローカル紙ぐらいなら載るかもな・・・』などとは思う余裕もなく、しかし、限りなく溺死に近いクロールで最後はゴールした。ゆうに数試合はできる時間が過ぎていた。

これが僕の競泳男子100m平泳ぎ(爆)の思い出。ああ、あのとき、今の北島選手のように発達した手足が付いてたら・・・いや、付いててもダメなもんはダメだな。使いこなす脳みそが足りんし。。

あの大会の後、当時好きだった子から、しばらく口を利いてもらえなかったことは言うまでも無い。

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個の心性を考える-2つの軸-

前のコラムからの続き。

さきのコラムでは、公私・個集という軸で「自分」の意識を色々と考えることができるのでは、という論を紹介した。さて、人間というのはきわめて多面的な動物で、状況や組織のありように応じて、それぞれの立ち位置や心の持ちようを自在に変幻させることも必要となる。先ほどの二軸で考えると、それぞれの象限ごとに次のような心性がシンボリックに考えられるのではなかろうか。(勿論、下図に示す心性はシンボリックなものを配してあるわけで、これが全てではない)

chart2.JPG

一介の「自分」は、この軸をめぐり様々に煩悶と葛藤を繰り返す存在である。
いち個人の中でも、公人と私人の区分が難しい(例えば芸能人なんかがその好例)ことは言うまでもないが、ここでは『人格心と情緒心』の中で煩悶が起こっていると言えよう。
集団に関わる中でも、『帰属心と規律心』の葛藤もある。たとえば、企業である命令を受けた際、その命令に背くことのほうがその企業への真の忠誠を示すことになる、という場合もある。こういうときの解決法はやはり、集団における「議論」ということになろう。
己の公人性の中にも、『人格心と規律心』の衝突は起こりうる。上司の命令や周囲の期待に従うことで、自分の人格が汚されていくという場合なんかがそうではないだろうか。新撰組副長の土方が、己の真意とは別に組織内の規律を保つべく「鬼の副長」として振舞ったのなどはこれに当たるのかな、なんて思う。まあ、現代には鬼の副長も居ないわけで、こういうときには組織において「法律・ルール」が発展して不幸を避けることが一般的な解でしょう。
最後に『帰属心と情緒心』だが、人間は何処まで集団的な利益のために感情を犠牲にできるか、ということがここでのテーマだと思う。帰属心からすれば戦争に行くべきだと思っても、いち人間としては戦いで傷つくのは嫌だ。こういうときに帰属と感情の狭間でひとは煩悶する。そして、この煩悶を解決するために「道徳」は成熟する必要がある。

たまに昼間の商売の話をする僕だが、昼間の仕事で僕が所属している組織は極めてこの辺の議論が曖昧な部分もある。まあ、これはいずれの組織でもいえることなのだろうが、個々の成員が上図の象限の何処を重視し、それぞれの態様や周囲の状況に応じて、何処まで柔軟に心性を操作することが可能と考えているか、将来的にはどういう方向性を持った人物を揃えようというビジョンがあるのか。
実はけっこう、根本的な議論のはずなのだが、なかなかどうして難しい。やはり、人間の本性に関わる部分は最も解決が困難ということなのだろうか。。

またじっくり、どこかで考えてみます。

(参考:西部邁「リベラル・マインド」「保守思想のための39章」)

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外界との距離感を斟酌する

この頃では、外界との距離の取り方がますます解らなくなってきた気がする。

曲がりなりにも政治学をやってきたこともあり、「外部との関係構築」や「政治的な振る舞い」みたいなものに対して、一家言持っているように思われることもあるのだが、実はあまり人間関係の形成はうまくない。むしろ下手である。
親しいひとに対して示す発言が相手の懐中に刺さらなかったり、意図せざる方向で汲み取られたりも多々ある。実はアート(技術)としての言葉の使い方があまり上手でないのかも知れない。

さて、こういうことに思いをめぐらしているとき、ある論を思い出した。論壇の重鎮・西部邁翁の著作。
西部邁といえば、オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」に関する議論で知られている(オルテガについては僕も昔感銘を受けたことがあり、私論はいずれ何処かで披瀝したい)が、ここでは、西部翁の考察する「自分のなりたち」に関して考えようと思う。まず、次の図をご覧いただきたい。

chart1.JPG

西部は自己意識のありようを考える上で、公と私、個と集という二軸を用いている。公・私の概念軸は、道徳や法律などのルール付けと保護されるべきプライベート領域との関係を指す。学校でいう授業時間と放課後、職場でいう就業時間とアフター5と思えば解りやすい。個・集の概念軸は、ある種の慣わしや文化を強調することとインディビジュアルとしての感情へのこだわりとの関係を指す。ただ実際には、組織人として振舞うことと個人として振る舞うこと、この線引きは非常に難しい部分もあるが。

さらにはそれぞれの軸の中で個人がどういう精神構造におかれ、意味付けされるかが、思考・意識のポジショニングをする上で重要になる。続きは次のコラムで展開することにします。

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August 17, 2004

葦刈

新しいことを貪欲に吸収し洗練されていく女、古い場所に依怙地にしがみつき精細を欠く男。
映画「アニー・ホール」は、NYに住む男女の恋愛模様を、ウディ・アレンがペーソスとコメディたっぷりに語りつくしている。

anniehall.JPG

「僕を会員にするようなテニスクラブには入りたくない」と毒づく、一癖も二癖もある漫談家のアルビーをウディ・アレンが知的に軽快に演じている。一方で、ダイアン・キートン演じるアニー・ホールは田舎出の売れない歌手志望娘。
アニーはアルビーと出逢い、その励ましやアドバイスを受けながら、知性を身につけ徐々に成功へと近づいていく。次々に向こうからやってくる環境変化を積極的に受け入れたいアニーと、変わっていくことに背中を向けるアルビー。
「別れよう」とふたり同時に切り出し、離れ離れになったはずが、次第にアルビーはアニーへの未練をもたげる。別れた彼女の使っていた石鹸を持ち歩くアルビー。不器用で空回りばかりの男のプライドが痛々しくも、そのぎこちなさには、何処かしら共感できるものがある。あ、俺が男だから?

ふと、平安時代は「大和物語」の『葦刈』という話を思い出した。
摂津国に住む夫婦が、貧乏のためにいったん離別し、それぞれに生計を立てることを決める。その後、都に上った女は貴人の後妻になり、男は難波の浦で葦を刈る人足となり乞食さながらの落ちぶれた様を見せる。
「君なくて、あしかりけり(=「葦刈」と「悪しかり」の掛詞)と思えども」と、あなたがいなくなって悪いことをした、別れなきゃ良かったと思う、と男は後悔する。もう過去には戻れない。

時代や場所が変われども、男と女の振る舞いは繰り返す。可笑しいほどに。

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August 15, 2004

TBSドラマ「逃亡者」

いやはや、毎回誰が犯人なのか、江口洋介は逃げきれるのか冷や冷やさせられますが。そんな中、ドラマを見ていて一つ、気になったことが、

それは、「意外にも公衆電話は多い」ということ。
ケータイ電話隆盛の昨今、街中で公衆電話を見掛けることなどすっかり少なくなりましたが、「逃亡者」の永井は、公衆電話を大いに活用して、逃走や諸連絡に役立てている。まったく、感心します。こんなに公衆電話って有ったのか!と。

わたくし気になって、公衆電話の設置台数、調べてみました。(下図)

public-phone_graph.JPG

どうやら公衆電話の施設数は、この10年以上連続で減少しているようですね。やはり携帯電話の急速な普及が背景にあるようです。また、設置されている公衆電話の構成を見ると、カード式の公衆電話から、デジタル公衆電話・ICカード式公衆電話へとシフトしつつあるうようで、2001年度現在では公衆電話全体の20%超が新式の公衆電話に取って代わった模様です。

劇中、永井が電話を掛けているシーンを見ると、どうも緑色の旧カード式電話を多用していることから、新式電話へのリテラシーはまだまだ不十分なことが窺えます。
NTT(東西)さん、無実の罪で逃走中の永井さんのためにも、どうか、緑色の電話、残してやってください!
お願いします!!m(_ _)m

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熱病からの卒業

「ノストラダムスの大予言」を本気で信じていた時代があった。
他でもない、百詩編の中の「空から恐怖の大魔王が云々・・・」というくだりのことである。いま思えば懐かしいなあ、中坊の頃。

中学生時分にノストラダムスの大予言を信じていたのには、わけがあった。
その頃の僕は、少しからず日本の戦争責任についての考えを巡らしていて、とりわけ、軍部の暴走を止めずに戦争に加担するばかりの民衆の熱狂ぶりを、どこか恐ろしく思っていた。「日本人はその本性として同質性・集団性が高いため、いったん火が点いた時には、皆が無批判に右にならってしまうような行動を取るんだ」と。
だからこそ、ノストラダムスの大予言を信じる人間によって、世紀末にはその同質性に火が点いてしまうに違いない、と思っていた。このことに警鐘を鳴らすつもりだったのか、当時は論文まで書いたことがある。ああ、中坊の頃の純粋さを思うと泣けてくる・・・。

その後、阪神・淡路大震災が起きたときのこと。被災者は海外メディアからも絶賛されるほどの落ち着きようとマナーを示した。どこの国でも通例、大都市であの規模の災害が起こったときには、騒乱やインモラルな行動が激化するものなのだそうだ。しかし、震災の被災者は、倒壊するビルの狭間でも信号を守り、食料配給の列を崩さず、ボランティアに積極的に協力を行なっていた。そのモラルの高さに感心すると同時に、一抹の薄ら寒さのようなものも感じた。
日本人はもはや、同質性を以って騒擾する民衆で無くなったという点は頼もしくも、しかし生命に対する執着心の無さと際限ない冷静さのようなものを裏側に感じ、ちょっと哀しくも思えた。

2001年9月の同時多発テロの際にも、現地でテロ災害に遭う日本人は異常とも言える冷静さを保っていた。一方のビルが攻撃を受けた直後も、ツインタワーのもう一方に居た日本人は、電話で淡々と事の状況を伝えていたのである。ここで思いは確信へと変わった。日本人はもはや、マス・ヒステリーに陥るようなことはないだろう、と。

今日は終戦記念日。
ジャーナリストの角間隆は、「日本人のマス・ヒステリーは60年周期で訪れる」などと昔書いていたが、どうだろう?
僕にはその予言も外れるような気がして、しょうがない。

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August 10, 2004

はじめての洗脳

うーん・・・題名はもっとポップにしたほうが良かったかしら?
最近のコラムでは、中高生時代の昔話に触れることが多いんですが、今回も僕が中坊の頃の話。

生徒会役員をやっていたこともあって、お客様ってのを頻繁に出迎えなきゃいけなかったんですよ。
で、中2の頃だったかなあ、カナダ人中学生でユネスコのボランティアをやっているって男の子が来校しまして。。これが、金髪で青い瞳、すらっとしててカッコいい、モデルみたいな男の子なんですよ。もう、同じ生徒会の女の子なんて、ガイジン見たこと無いわ、しかもイケメンってことで、一瞬でクラッとしてましたです。
あ、僕らモテない男子組はもちろん、隅っこのほうでブツクサ言ってましたが。

カナダ人A君は、足しげく我が校に通ってくれまして、また僕も彼の家に行ったりで、数日のうちにそれなりに打ち解けてきたんです。
が、そんなある日。A君はこう言いました。「今日は2時間くらい時間をください。そして、20人ほど集めてください」と。
「カッコいいガイジンとお話をする会」というフレコミで、造作無く20人は集まった。僕らは視聴覚室に行く。視聴覚室には、A君の父親が来ていた。今日の話は父親からだというのだ。
A君の父親は、用意していたビラをささっと配ると、深刻な顔つきで語りだした。
いま、世界には密かな危機が迫っている、と。世紀末を控え、悪魔の数字「666」を刻印された人々が増殖している。しかし肉眼ではその刻印は判らず、その数字を持つ者に人々は支配されるようになる時代が間もなく来る、と。ビラには、額に「666」が刻印された医者やビジネスマンが、人々を襲うおぞましい絵が有った。
A君の親父の話は1時間以上にわたった。薄暗い視聴覚室で、カタコトの日本語は余計に真摯さを増して聞こえた。そして、とどめの一発はA君だった。

「ボクはミンナが助かる方法をシッテマス。この本をヨンデクダサイ。シンジル人は、目をつぶって、手をアゲテ!」

その呼びかけに、周りからサーッと手が挙がるのを感じた。薄目をあけて見渡すと、実に、ほとんど全員。手を挙げてない不届き者は、僕と、ヤンキー女の先輩だけだった。『立場上、手を挙げといたほうが良かったかなあ・・・』とも思ったが、もう一人挙げてないのが居たので安心した。心の中では謝った。『ごめん、A君、うち、仏教徒なもんで。。』
後から解ったことだが、A君の父親は牧師で、うちの田舎あたりで布教活動を真面目に熱心に行なっていたらしい。別段、悪いひとでも無かったようだ。

以後にも、宗教に勧誘されたりした経験などは有ったものの、あそこまで印象的な出来事はなかった。密集した空間で怖い話を延々と聞かされりゃ、そら平静では居られなくなるものだ。まあ、でも、普通の日常生活を送る上で、教育としてのマインドコントロールはある意味で、重要なテクニックになるわけだし。かかる幸せっていうのも有るのかも知れないですけどね。

視聴覚室での話が終わると、手を挙げなかったもう一人に聞きに言った。
「ねえ先輩、先輩はどうして手を挙げなかったんですか?」
「あ、アタシ?だって、信じたところで小遣いが増えるわけじゃないし。彼氏ができるわけでもないしさ。」

・・・現実は宗教よりも怖い。

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August 09, 2004

個人が政治を意識する瞬間

1989年の冬、ボクは職員室のテレビに釘付けになっていた。
授業開始のチャイムはとっくに鳴っていたが、この世紀の出来事の折、位置ベクトルだ内積だなんて更々学ぶ気にもなれなかった。

同年の6月4日、奇しくも中国の天安門事件と同日、ポーランドで「連帯」政権が樹立された。中国とは際立ったコントラストを為していた。この政権成立を皮切りに、以後、ハンガリー、東ドイツ、チェコ、ルーマニア、、とその年の冬までに東欧では連鎖的な民主主義革命が進展する。
大方の見方では、この東欧の民主主義革命は「社会主義経済の不振・構造的な破綻」が主要因とされているが、実はそれ以外にも、政治的に意味を持つものとして、次の要因が挙げられる。
 
 ①東欧諸国の指導者層の腐敗
 ②共産主義体制下での、「下からのデモクラシー文化形成」の挫折
 ③環境の悪化

①は言うまでもないが、ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻の処刑などが記憶にあるかも知れない。
②は特に、これら東欧国家における一党独裁や高級官僚によるエリート主義的な支配体制の中で、一般民衆の発意に基づくデモクラシーの形成が遅れてしまったということが考えられる。少なくとも、初期マルクス主義の目指すものとは方向が転換してしまい、多元的な文化のありようが否定される構造にあったことも考えられる。

そして、ここで僕が注目したいのは③の理由だ。
社会主義体制下での経済指導により、東欧は1970年代までに急速な工業化を進めたのだが、そのひずみは大きかった。1980年代の十年間に東欧、とりわけ旧チェコとハンガリーでは、工業化にともなう公害と環境悪化が深刻で、ある調査では平均寿命が十年間で5歳も縮まったという結果が出てしまった。
民衆は生命の危機を感じて環境保護運動を展開、これが母体のひとつとなって、市民運動に結びつき、やがては東欧の社会主義政権を崩壊させる原動力となったと言われている。(参考:「ラディカル・デモクラシーの地平」(千葉眞))

政治が十分に機能を果たしているとき、それは個々人の私的領域が大多数において侵害されない生活を担保されている状態だと思う。一方で、政治が機能不全に陥っているとき、それは政治が個々人の私的領域も公的領域も含めて、ある種の危害を加える可能性を持ち、もはや代表性を発現できなくなってきているときだと思う。
東欧の民主主義革命の一因は、「生命の危機」を民衆が感じたことだと先に述べた。
翻って、今の日本の僕らはどうだろう?ある政治学者は言う。「人々は、究極的には、個々人の利益・福祉が増大するとされることによってしか、私的なものに対する制限の正当性を主張することは不可能なのだ」と。
私的な領域を護るために、公的なことに敢えて取り組まなきゃいけない瞬間だってあるのかも知れないですね。僕は、次の言葉を自分への警句にしている。


「わたくしどもを奴隷にして下すってもよろしいから、どうぞ食べ物を下さいませ」(「カラマーゾフの兄弟」)

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August 08, 2004

『コンナモンデ』

誤解のないように書きますが、ボクは熱血や根性主義みたいなものを否定するわけではありませんので。
ひとつ前のブログでは中学時代の思い出とともに熱血教師に関して触れましたが、その目的や意図はどうあれ、情熱と真摯な思いを以って何事かに取り組む人たちを嘲笑うことなどしたくはない。

僕が避けたいことは、模範解答に安易に飛びつく心性、ただそれだけなんです。

昼間の商売ではコンサルタントをやってますが、僕自身、安易な模範解答に飛びつきたくなる瞬間はいくらでもある。いやね、この仕事やってると、時にあるんですよ。「(お客さんにはどうせ判らないんだから)このくらいのアウトプットを出しておけばいいだろう」って思う瞬間。

最前から述べている『模範解答』とは、言い換えれば、『期待した何かを知覚できる閾値(=最小限の刺激のレベル)』のこと。そりゃ、相手によっては解答の閾値は違いますよ。60点で合格と思うヒトもいりゃ、90点取ってもまだ満足できないヒトもいる。
でもそうやって、相手のレベルを推し量って「このくらいでいいや」という解答を出す人間は、正直ちょっと苦手です。いわゆる『アタマのいい人』ほど、特にこの心性が目立つ気がする。だけど、相手の閾値が低いからと言って、バカにしていい訳でも、レベルを落として解答していいわけでもない。食べ馴れないフランス料理を食べにきた客に対して、「(どうせ違いが判らないんだから)ドッグフードでも出しておけ」なんて思う料理人が居たら、料理人の風上にもおけない、ということになるでしょ?

それはコンサルの世界でも一緒だと思う。コンサルタントにとっての料理道具は「知識」ということになるのかも知れないけど、その知識にしても、ただ有るからと言って簡単にはお金に変わらない。もしも、そんな錬金術があるんだったら、僕に教えてください・・・今すぐ商売替えしますから。(爆)

ことの本質を見極めたくて、掴んだ何かを相手に伝えたくて、そのために知識は最大限使いたいと思っている。
ふっと閃いたアイデアを蕎麦屋の箸袋の裏に書き留めたり、いいフレームワークが思いつかなくて何度も公園をぐるぐる廻ってみたり、ウェイトレスさんに渋い顔をされながらも喫茶店に何時間も居座ったり。思いを形にするのはラクじゃないし、その過程で苦悶する様は、ちょっとダサい。アタマのいいヒトから見たら、しごく非効率なプロセスを踏んでるのかもね。

それでも僕個人は、「こんなもんで、いいや」という心性を択ぶよりはずっとマシだと思っている。
もちろん、働いている動機やシチュエーションは十人十色だし、一概に「これが正しい考え方だ!」などと押し付ける気は毛頭ないですよ。でも、僕自身は、精一杯正直でありたいと思う。特に自分に対してはね。
もしかしたら明日、この心性が変わることもあるかも知れない。いつ考えが変わるかなんて、先のことは解らない。

けど、とりあえず今日のところは、まだ、揺らいではいない。

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模範解答と別解

中学時代は今までの人生の中でも激動期であった。

ひとつ前のブログで、小学生時分から『スポーツなんて糞食らえ』と思ってたことに触れたが、実は中学3年間はテニス部に所属していた。野球やサッカー、ましてや武道なんかやった日にゃ、まず体力の無い僕はついていけないと思っていたが、軟弱そうなテニスならば何とかやっていける気がしていた。少しは体力を付けないといかん、という意識で、友人にそそのかされるまま入部届にサインをした。

・・・が、甘かった。テニスやるにも基礎体力なんだね。

とりわけ、スポーツ音痴だったボクは、相当に鍛えられた。九州という土地柄のせいか、教師は平気で怒鳴る、殴る、蹴る(今だと体罰だよなあ・・・)も行使した。ま、人生、こんなスパルタの時期があっても悪くないと思った。
顧問兼ぼくらのクラス担任だった教師は、その春大学を出たての新任だったこともあり、「熱血」への憧れがそういう行動を取らせたこともあったのだろう。その熱血っぷりを苦々しく思う部員も少なからず居たが、変に余裕ぶった教師よりも等身大で人間臭い感じがして、ボクは嫌いじゃなかった。

そんな僕らテニス部は、ある大会の試合で全員、ボロ負けした。

誰よりもこの試合結果を苦々しく思ったのは、ほかでもない熱血教師だった。重苦しい空気の中、僕らはみな部室に集められた。教師は怒り心頭に達していた。全員一列に整列させられた。

やおら、一番右に立っていた同級生に向かって、怒号一発。
「正直に言え。お前、何のためにテニスやってるんだァ!!?」
一番右の生徒は答えた。「勝つためです!」

「お前は、何のためにテニスやってるんだァ!!?」
右から二番目の生徒も答えた。「勝ちたいからです!」

「お前は?」「勝ちたいからです!」

無限ループにも近い繰り返しを経て、僕の番が廻ってきた。
「お前は、何のためにテニスやってるんだァ!!!?」
「・・・あの・・・健康維持のため・・・」

沈黙が流れた。
なんでだろう?ボクはどうも、緊張感が高まるとそれを崩したくなる嫌らしい性癖がある。「正直に」って教師は言ったのだが、どうやら彼の期待した模範解答とはひと味、違ったらしい。
プリミティブな集団にとって重要なことはモラールを維持することと、同質性を担保することだ。僕みたいな異端者は教師も扱いに困るのだろう。後日、職員室に呼び出されたボクは「君も生徒会が忙しいだろうから、大変なときは部活に顔出さなくても大丈夫だからね、な・・・」

僕は婉曲的にクビ、戦力外通告をされた。中学生にして。(爆)

しかし、折しも生徒会活動が忙しくなっていた僕にとっては、渡りに船の提案だった。教師は御しにくい生徒を抱える手間が省け、ボクは二足のわらじの多忙さが少しなりとも緩和される。Win-winの関係って奴だ。もちろん、ボクは生徒会活動を選んだ。ま、テニス部に籍は置いてたけどね。

中学卒業から10年目の同窓会。久しぶりにあった先生は相変わらずの熱血ぶりの中にも、様々な煩悶や葛藤を乗り越えた逞しさがあった。先生はこう言った。
「あのときの事はいまも忘れない。お前に会ったお陰で教師人生がだいぶ変わったし、俺も目覚めたよ。無理強いして右を向かせるだけが教育じゃないってことなんだなあ。」と。この10年の間に何が有ったのかは解らないが、とにかく、先生は明らかに変わった。

*****

生徒にとって理想の教師像があるように、教師にとっても理想の生徒像ってのはあるのだろう。しかし一方で、子供というものは親や教師の期待値に対して敏感な存在だ。

『こう答えれば、オトナは○をくれる』
子供は本能で模範解答を察知する。オトナに誉められるのはそれなりに快感なことだ。じっさいのところ僕も、「こういうものを書けば大人は喜ぶ」というような文章を書いては人に誉められていた時代もあった。それ自体はさほど難しいスキルではない。
けど、それは長い目で見れば子供をスポイルすることになる。模範解答に応えさせ続ける訓練は、自由で伸びやかで多様なはずの感性を奪い、中庸で無難な結論を選び取らせるだけの無批判な大人に近づけてしまう。しかし現代は、そういうオトナがラクにサバイバルできるような時代ではない。無思想と無批判のベールは今の時代を覆っているが、それが十年、二十年の間に、じりじりと社会から生命力のようなものを奪っているようにも思う。
まず以って、オトナの世界では模範解答なんて無い。無いからこそ、苦悩と苦痛にまみれ、試行錯誤と蛇行を繰り返しながら、解に少しでも近いものを見出そうと努力するんだ。そして、苦悩の末に結実した解は、本や雑誌に載っている模範解答なんかよりもずっと思い入れが深いものになる。

僕が今でも、「サラリーマンが読む××」とか「5分で変わる××術」のような本を敬遠するのは、模範解答への強い嫌悪が根底にあるからかも知れない。まあ勿論、ときには模範解答に沿ってヒトを喜ばせるのも悪くはないことだけどね。

・・・三つ子の魂百まで、ってか。

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August 01, 2004

ていたらくオヤジ?殴っておしまいなさい。

シアトル・マリナーズのイチローが快挙を遂げた。

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通算3度目の月間50本安打は、大リーグでも滅多にない記録らしい。
実は恥ずかしながらワタクシ、今年の5月にほとんど生まれて初めて、野球観戦なるものをいたしまして、僕にとって栄えある最初の観戦が、シアトルはセーフコ・フィールドのマリナーズ戦でした。
それまで日本のテレビでは毎日のように、イチローの試合結果なんかが伝えられているのは知ってましたが、『日本のメディアは日本人の活躍を針小棒大に報じているだけ』なんて、最初はたかをくくっておりました。

・・・ボクは馬鹿でした。

イチローはアメリカ、とくに地元のシアトルでは、ほんとうにスーパースターでした。一挙一動に華があり、観客は寡黙な彼がたまに口を開いて述べる気の利いたコメントに、飛び上がって喜ぶ。いや、すごいんですよ、ほんとに。シアトルの街には無くてはならないカリスマなんだなあと思うと同時に、異国の人間にもきちんと敬意の念を払う米国の器量も大したもんだと感心した。

とても自慢にゃならないんだが、生まれつき、スポーツは見るのも、やるのも大嫌いでして。
生半可じゃない。
小学校の頃は体育の授業がやりたくなくて、一年間、レポートだけで済ませたこともある。将来、『身体で食ってく』つもりもさらさら無かった自分には、身体を動かすことが苦痛だったし、すべて文章で代わりを済ませた。当然、体育教師の僕への敵視は並々ならぬものがあった。が、まあ、授業をきちんとレポートしてたんで、何も文句は言わせませんでしたが。。
僕のスポーツ嫌いのエピソードや教師との戦いの回顧録「わが闘争」は、また別の機会に譲るとして、、それほどまでにスポーツに興味のない僕が、しかし、イチローと大リーグの野球には心震わされてしまった。魅了されちまったのである。野球は、スポーツは、立派な文化だし、これを守ることは芸術や文学を愛することと同列だな、と。

翻って、いま、日本の球界は大変な状況にあるらしい。
ぼうっと朝まで生テレビを見ていると、球団合併問題と2リーグ維持問題について議論していた。例の田原総一朗が、現役・OB・野球評論家などを仕切るわけだ。おなじみ二宮清純や、選手会会長のヤクルト古田、大阪府知事選にも出ていたエモやん。それぞれに話術も心得てるし、なんにも背景を解らない僕も、理路整然たる説明でおぼろげながらいま置かれている状況が理解できた。
とくに、古田は素晴らしい。彼はほんとに頭が切れる。当事者であればなおさら、感情的になりやすいテーマなのだろうが、目上の者や利害関係者の心情を害さない配慮とジェントルマン的な態度は崩さず、しかし選手を、ファンを代表するという立場を一貫してコメントに散りばめていた。抑制的に情熱を発露させて喋る話術を心得ている。正直、同席していたライブドアの某社長が頼りなく、少しばかり愚鈍に見えた・・・・。(ま、ライブドア某氏は自分の役割をよく心得て演じてたんだろうけどね)

しかし、それ以上に問題は、パリーグ某球団の某・元監督ですよ。もう、アホかと、バカかと。いったい誰が呼んできたんだよ、このオヤジ。だいたい、半分酔っぱらってテレビに出演している時点でアレなわけだが。百歩譲って、酔っ払ってテレビに出るのが「芸」になる議論屋ならいい。西部邁がそうだったし、野坂昭如もそうだ。彼らにとっちゃ、出演前の酒ってのはエンターテインするためのガソリンみたいなもんだからね。
でも、元大投手で元監督の某オヤジは残念ながら、酔ったところで、何の引き出しも付いてなかった。おっちゃん、テレビ舐めてんのか?視聴者なめてんのか?こんな親父を持った、美人プロゴルファーの娘が、なんとも哀れに感じられたことであるよ。。

野球界なんて普段考えたことも、これからも考えることはないであろう僕だが、若い人材の頼もしさと親父のていたらくっぷりが、心のフィルムにはしっかりと焼きついた夜だった。

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