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August 19, 2004

競泳男子100m平泳ぎ

人生には勝たなきゃいけないいくつかの場面があるそうだが、期待されている場面できちんと結果を出すオリンピック選手たちには、もう、感動を超えて畏敬の念すら感じてしまう。同じ一個の人間ながら、極限の緊張感の中で、神の宿る瞬間があるというのはこのことなのだろうか・・・。

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僕は何処からどうみても、水際の人間ではない。というか、船では船酔い、山では高山病、空では飛行機酔い、車を運転したら運転しながら吐いちまう。なんというか、冷暖房の調節された平地の空間でないと実力(何の実力じゃ?)を発揮できないヤワな男なんです。。
そんな僕が、恥ずかしながら、ほんとに恥ずかしながらも、一度だけ水泳大会に出たことがあるのは高校生の頃。後にも先にもプールで競泳したのはあの時だけだろう。
3歳で児童用プールで呼吸困難になったのが最初。11歳のとき地元の海に行き、東京から来たOLさん2人組に気を取られているうちに沖まで流され、監視員の世話になったことも。ほんとに水とはとことん相性の悪い僕が、何かの嫌がらせとしか思えないんだが、クラス対抗の100m競泳の試合に出ることに。断ろうかとも思ったが、当時好きな子も居たわけで、なんかたまにはスポーツしてる姿も見せねば、というヤマっ気もあった。

試合当日になって、選手オーダーを見てマジ、びびった。
同じレーンには水泳部員も居れば、スポーツでならした奴なんかも居た。そんな中、何故、百人一首部のボクチンが・・・?
申し訳無さで一杯になった。平泳ぎは何とか大丈夫と思っていたが、全然大丈夫じゃない気分だった。飛び込んでからはもう、すぐに、呼吸の困難と手足のリズムが狂っていくのをまざまざ感じた。50mプールの半分くらいまで来て、ようやく平静な呼吸を取り戻して、自分のペースで顔を上げられるようになる。きわどいながらも、なんとか50mに到達。ターンして折り返し、ふとゴール向けて顔を上げる、と。

「!?」

信じられないことに、全員、ゴール済みであった。真ん中レーンの僕は自分の泳ぎに必死で、他の7つのレーンに人影が居ないのを訝しく思う暇すら無かった。焦りは泳ぎのスタイルを乱した。平泳ぎから犬掻き、犬掻きから立ち泳ぎ、バタ足、もう、何処が平泳ぎなんだ、、でも、足だけは付けないぞ!
その様子は、観客席からはどう見ても、溺れているようにしか見えなかったようであった。僕の50mぶんは常人の100m以上に相当するわけで、まあ、優雅なプール占有タイムに「これでもか」と溺れっぷりを見せ付けてやった。放送部のアナウンサーの声が惨めに響く。「4コース××くん、頑張れ、頑張れ!」
『公開溺死してやろうか?ローカル紙ぐらいなら載るかもな・・・』などとは思う余裕もなく、しかし、限りなく溺死に近いクロールで最後はゴールした。ゆうに数試合はできる時間が過ぎていた。

これが僕の競泳男子100m平泳ぎ(爆)の思い出。ああ、あのとき、今の北島選手のように発達した手足が付いてたら・・・いや、付いててもダメなもんはダメだな。使いこなす脳みそが足りんし。。

あの大会の後、当時好きだった子から、しばらく口を利いてもらえなかったことは言うまでも無い。

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Comments

思わず笑ってしまいました。
失礼しました。
前回のシドニーオリンピックで、かどぅさんと同じような状態になったどこかの国の人を思い出しました。
ちなみにわたしも泳げません。
海でぷかぷか浮くのは好きなんですけどね。

Posted by: akari | August 20, 2004 at 04:52 PM

そういえば、シドニーのときにもいらっしゃいましたね。

私の場合、「河童の川流れ」というよりも「溺れるべくして溺れた」というべきか・・・。

akariさんは水上では泳げないかも知れませんが、ブログ上では十分に泳げているようで。。(爆

Posted by: かどぅ | August 20, 2004 at 09:15 PM

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