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May 08, 2004

幸福の質量保存の法則

「質量保存の法則」:化学変化の前後における物質の総和は不変であるという法則。質量不変の法則。(A.L.Lavoisier)

水戸黄門の主題歌では「人生楽ありゃ、苦もあるさ」と唄われている。確かに、一人の人生、良いことばかりも悪いことばかりも長くは続かないものだ。まあ、この唄じたいも、日本人が好みそうな諺「楽あれば苦あり」「苦は楽の種」から発しているのであるが。

しかし、実のところはそうだろうか?
いったいぜんたい、世の中というのは公平にはできていないものである。
富める者がいれば、貧しき者もいる。健なる者がいれば、病める者もいる。美なる者がいれば、醜なる者がいる。世の中、公平なんかじゃない。面白おかしく一生を送り続けられるひとも居れば、不遇で悲惨なまま人生を送るひとも居る。ひとの幸福なんて不変等則ではない。

・・・けどやはり、幸福の質量は不変なのではないだろうか、と思う。

これは「一個人の人生での幸福が一定量」というのではなく、「社会全体での幸福・不幸福の量が一定」ということではないだろうか。社会全体を大きなバランスシートに見立てれば、幸福と不幸は均衡を取り合っている。ある者の幸福はある者の不幸から産みだされる。
そんなとき、不幸なひとは己の不遇を嘆いて逃れたくて、スイッチを切ろうとする。が、これは間違いである。というのは、幸福と不幸はバランスしているわけだから、自分が居なくなっては、社会でのバランスが取れなくなるからだ。
他人様に迷惑を掛けてはいけないのは、人生を送る上での最低限のルールではないか。

ボクは別に、基督教のように「来世」を想定して、現世と来世での幸不幸の分量が相殺できる、などと唱えるつもりはない。
でも、幸福なひとは幸福をいつまでも持続はできず、往々にして簡単な幸福では喜べない体質になってしまう。逆に、不幸なひとは不幸馴れするが故に、少しの簡単な幸福で満足できる体質になっている。そういうものではないか?

世界には満足にモノを食べれないひとが数多く居る。一方で、米国には唸るほどの食料と明らかに太り過ぎな者がいる。腹八分などという言葉も無く食べ続ける者にとって、少しの空腹感は許せないものであろう。反面、満足に食事にありつけない者にとって、少しの食事でも天頂に昇りそうな幸福感が得られるだろう。食料の量という相対的な幸福の尺度では明らかに優劣があるのに、幸福の度合いはどうだろう?

幸福のインプットはいずれも同じなのに、主観というフィルターでいかようにでも、化学反応を起こすことができる。そういえば、化学の実験でも、燃焼させた後で、物質の重さが変わっていたような・・・??

なに考えてるんだ、俺・・・暇にまかせて、こんなことを書いてしまいした。。

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Comments

こんにちわ通りすがりに拝見させていただきました

私もちょっと同じ事考えてましたよ
質量って無いんですけどね、でも一応概念として存在するっていうかなんていうか

私は他に質量保存の法則、色々気になる事あります
死んだらどうなるかとか

ここは面白い記事が多いのでまた寄らせて頂きますね
それでは

Posted by: | May 09, 2004 at 05:20 AM

通りすがり様、コメントありがとうございます!

幸福に質量なんてあるわけないのでしょうが、ある尺度を当てはめれば、法則性があるのかも、と思いました。
このブログを書いたとき、アメリカに居たのですが、アメリカは日本以上に貧富や個人間の格差が激しく、幸福ということを本気で考えさせられました。。

日々駄文をつづっておりますが、よろしければまた是非、
お立ち寄りくださいませ。

Posted by: かどぅ | May 10, 2004 at 06:19 AM

先の通りすがりのものですが
実は私もブログをやっておりまして
先日はなぜかアドレスやら名前やら抜けていたようです

気になる記事はトラックバックしたいですね
これからもよろしくお願いします
もしかしてクッキーの調子とかがおかしいのかもしれませんのでここに一応かいときます

『ちぶろぐ』オーナー「ケンスウ」です
アドレスhttp://blog.livedoor.jp/she_like_powerful/
です
宣伝臭くて申し訳ないですがまたよろしくお願いします

Posted by: ケンスウ | May 11, 2004 at 03:01 AM

>>・・・けどやはり、幸福の質量は不変なのではないだろうか、と思う。

これは「一個人の人生での幸福が一定量」というのではなく、「社会全体での幸福・不幸福の量が一定」ということではないだろうか。社会全体を大きなバランスシートに見立てれば、幸福と不幸は均衡を取り合っている。ある者の幸福はある者の不幸から産みだされる。

果たして本当にそうでしょうか?うなずける部分もありますが…地球に惑星が衝突するときを想像してみましょう。どこに衝突するのかは分かりませんが、ただ、衝突すれば甚大な被害が生ずると分かっているとします。そのとき、地球の構成員全員は、情報が与えられている限り、同程度の不幸感を抱くのではないでしょうか?

>>そんなとき、不幸なひとは己の不遇を嘆いて逃れたくて、スイッチを切ろうとする。が、これは間違いである。

果たしてそうでしょうか?(ニーチェなども参考になるかもしれません)

なんかケチつけているみたいですいません。うまく言えてないのも分かってます。いずれ上手く考えが纏まったら、書き込みをさせて頂こうと思います。

テツガク的に言えば、「社会全体での幸福・不幸福の量が一定」というのがなにに基づいているのか…というのが非常に気になりました。

Posted by: 通りすがり | June 01, 2004 at 12:31 AM

>通りすがりさま

コメントありがとうございます。
言い訳じみてて恐縮ですが、このブログを書いたとき、僕はニューヨークにおりまして、若干の時差ボケと思い込みのようなものがありました。
特に感じたものは、米国の過度なまでの優勝劣敗の状況であり、「富める者はもっと富む、貧しい者はもっと貧しくなる」という面であります。これを説明するための考えとして、「幸福が他人と自己との間で、相殺できるのでは」と思いついた次第です。

もちろん、全員が等しく不幸になることも、幸福になることや、一個人の中にも幸福・不幸が変動することはあるのでしょうが、それらはあまりにも日常現象としてよく起こることであり、証明しやすい事実だと思います。

社会での幸福・不幸の量(総量)、答えから言えばそんなものはまず測定しようもないのですが、個人間で相殺できる幸福・不幸を帰納すれば、やがて社会全体での分量が出るのかも、という感じでしょうか・・・。

僕のほうこそ、十分に練れていなくてすみません。ただ、これを気に自分の中で継続的に何か考えるきっかけにしたいとは思っております。今後とも、ご高覧よろしくお願いします。

Posted by: かどぅ | June 01, 2004 at 03:06 PM

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