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May 01, 2004

自由主義と共同体主義(1/2)

政治学の永遠のテーマのひとつに、「自由主義」と「共同体主義」の議論がある。「××主義」なんていうとそれだけで、なんだか古臭く感じられる議論ではあるかも知れないが、実は、つい最近のイラクにおける日本人人質事件も、まさにこのテーマと密接に絡むものである。個人の自由の希求と、共同体による抑制と、両方は並び立たない。

僕自身も、政治学徒のはしくれとして、この問題意識に対してあれこれと考えていたことも有りましたが、今回のブログでは、この問題をざくっと、取り上げてみます。(ちなみに政治学上の永遠の議論には、「大きな政府vs小さな政府」議論や「直接民主主義vs間接民主主義」議論などがあります・・・)
まずは、言葉の説明から。

◎自由主義(Liberalism:リベラリズム)
自由主義とはその言葉の通り、「社会に生きるすべての構成員が、他者に危害を与えない限りにおいて、自らの意思によって、自由に発言・行動できる」(J.S.ミルの定義より)という思想である。これは裏を返せば、国家や集団による、個人への過度な圧力や指図はこれを認めない、ということでもある。
日本国憲法でも職業選択の自由、思想信条の自由、婚姻の自由・・・とあり、「なんだ、当たり前のことじゃないか。これ以外に理想の社会ってあるの?」とすら考えてしまうわけだが・・・。

◎共同体主義(Communitarianism:コミュニタリアニズム)
自由主義と対を為すこの思想では、上記のような自由主義のあり方について、次のような疑義を示している。「自由主義社会における人間像は、特定の共同体の文化や伝統、慣習から切り離された、いわば『原子(atom)』のよう」であり、こうした個人は、ややもすれば「共同体内における自己の有り方を切り離して、己の幸福のみを追求すること」(=負荷なき自己:“Unencumbered Self”と批判される)を目指してしまう恐れがある、と。
そこで共同体主義者は、個人と共同体の密接な関係構築を強調する。すなわち、共同体とは個人にとって「所与」のものであり、個人の人格や人生設計を考えるうえで捨象できないものだ、と。

今日ではどちらの思想が優位なのかはよく判らないが、前者(自由主義)は、ミルやベンサムが主たる論者である。一方、後者(共同体主義)は、A・マッキンタイア、C・テイラー、M・サンデルが自由主義批判というカタチで主張している。
また、自由主義はJ・ロールズ以降、リバータリアニズム(完全自由主義)が派生する。これは、R・ノージックやハイエクらが中心になって唱えたのだが、「他の自由を侵さない限りにおいて最大限の自由を認めるべき」という、自由を至高の価値に置いた思想である。この思想のもとでは、国家の役割自体も個人の自由を助長・促進するためにのみ存在し、最小限の機能しか必要がなくなってしまう。

理想の政治形態など、有史以来存在したことはない。が、それを考えるヒントは、日常の議論の中にも詰まっている。自由主義と共同体主義、この2つの考え方をベースにもう少し見て行くことにする。

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