July 24, 2005

どうするよ、お祭りバラエティ。

電車内、目の前に立ってた男子中学生3人組の会話が面白かった。

「なんかさあ、最近の番組ってつまんないよね。芸能人がお祭り騒ぎして、必死に盛り上げてるけど、内輪受けって感じ?正直寒いし。」

僕は内心、『だったら見なきゃいいのに・・・』と軽く突っ込みを入れつつ。
しかし、チューガクーセーにも見透かされる位に、現在のテレビには何かしらつまらない要素があるのかも知れない。やや、視聴者のメディアに対するリテラシーが上がったのかも知れない。
いまや、TBS夜のニュース番組のあのおじさんの発言が偏向していることなんて、視聴者は皆知ってるわけで。しかもゲストときたらサヨクで鳴らしたちょっと昔の運動家崩れみたいな連中。テレビの中から香ばしい薫りがしそう。一方、フジテレビの休みの朝には、なんとも勇ましくも隔世の感のある豪傑君どもがわんさか喋くっている。汗の匂いがなんとも清清しい。
まあ、簡単に言えば、制作者側の意図が透けて見えたり、報道局の持つカラーがニュースの論調や取り上げるテーマの選択に少なからぬ影響を与えることくらい、今や誰でも解っているわけ。

・・・話が逸れてしまった。

そう、ふっとこういうことを考えたのは、フジテレビの丸一日がかりの特番を見ていて、である。
そもそも僕は、お祭り色の濃いバラエティ番組が嫌いじゃない。その昔の「俺たちひょうきん族」や「夕焼けニャンニャン」なんかは、お祭り番組として実に折り目正しいものだったし、リアルタイムでは知らないが、「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」も今にして思うと、一世を風靡した理由には頷ける。
思い返せば僕は選挙特番なんかも大好きで、1986年の衆参同日選挙などは、小学校を早退してテレビにかぶりつきだった。別に政治の中身に興味なんて有る訳がない。ただそこに、「祭」を見ただけなのだ。

けれど、メディアの世界は確実に多様化してきているのかも知れない。少なくとも、祭りを楽しむ心性において。

日テレの「ミンナのテレビ」にせよ、フジの「25時間テレビ」にせよ、制作サイドには、「俺たちが面白いと思うものを作れば、視聴者が喜ぶ」という図式が色濃いのだと思う。それは確かに重要な発想ではあるにせよ、時代の趨勢っちゅうものを認めにゃいかんのじゃなかろうか。
正直、よそのガッコでやってる文化祭を観に行ったような感覚な訳です。我褒めや身贔屓を繰り返す様を、視聴者はどう楽しんだら良いやら、ちょっと困っちゃう。おじさん走らなくてもいいから。金粉塗らなくてもいいから。同じ祭りやるなら、もちょっと、スマートにやれないかなあ・・・。

それにもはや、テレビの世界は時代遅れなんですよ。周回遅れ感が痛々しい。
テレビに取り上げられた頃には、世の中の一定層(特にインターネットやってる人間)には周知明白の事実になっちゃっていることが多い訳です。インターネットは信頼と情報の確度を引き換えに即時性を選ぶメディアだから、まあ、当たり前なんだけどね。

極論すれば、僕らは「じゃあ、観なきゃ良いじゃん」な訳だけど、それでも起死回生の方策を含めて、テレビメディアは真面目に「面白さ」ってことが何か、を再定義した方がいいんじゃないかな、と思ったりしました。

どうするよ、お祭りバラエティ。

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May 22, 2005

シンクロニシティ

ひとの考える事というのは、何故に斯くも等しきものなのだろう。

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・散歩マスター の検索結果   約 945 件
・サンバマスター の検索結果   約 89 件
・トンボマスター の検索結果   約 43 件
・ユンボマスター の検索結果   約 9 件
・酸素マスター の検索結果      1 件

・サンボマスター の検索結果 約 133,000 件

(2005/5/22 Google検索結果より)

+++

やはり、本物は他を圧倒する。頑張れ、頑張れ!

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April 20, 2005

メディアと通信のあいだ

ホリエモン事変が一件落着したようだ。
僕は全く以って話題のニュースに疎いので、知った風なコメントすら出来ないわけだが、まあしかし、マスメディアに日々触れる人間として、何か一言言わねばなるまい。ということで、、

フジテレビも良いが、東京MXテレビはかなり良い。

“東京MXテレビ”
言わずもがな、東京都を放送対象地域とする独立UHF局である。略称MXTV。ライブドアは勿論のこと、下手したら「かどぅちゃんねる」よりも視聴率低そうなこの放送局(ちょっと言い過ぎか(爆))だが、なんというか、コンテンツは結構見所がある。

ちょっと前、関東のテレビっ子(こういう言葉も既に死語だな・・・)の中では伝説になった番組テレバイダーも、MXで放送されていた。(余談だが、僕はテレバイダーを見るために、土曜日は22時前にデートを切り上げていた位です、、)

水曜日ならば特撮の歴史的作品ウルトラマン、日曜日にはあの夏目雅子の名演光る西遊記、、こんな懐かし番組が、ふつーにやっている訳です。
アニメや特撮だけじゃない。視聴率の低さを逆手に(何処かで使ったフレーズだが(汗))、もう、モウロク爺さん達が言いたい放題な番組なんてやってるし。これがまた面白い。先週はいつものメンバーに加えて、吉村作治・西部邁・毒蝮三太夫の三人が加わって(こういう人選をできるってのが神業だと思うが)、もう収拾まったく付かない無法状態のトーク。

地上波の生温く無難な番組を見飽きたら、ぜひ、MXテレビを捻ってみてはいかがでしょうか?(東京以外の方、すみません!!)

つか、ホリエモンが狙ったりしねえかな、次あたり。
・・・有り得ねえな,,, orz

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September 28, 2004

金も要らなきゃ、女も要らぬ!

思えば、昔のお笑いでは、「このヒトコトで確実に落とす」という類のものが多かった気がする。

今回のタイトルはご存知、玉川カルテット(通称:玉カル)の名文句「金も要らなきゃ、女も要らぬ。わたしゃも少し背が欲しい~♪」。このヒトコトを二葉しげるが絶叫すると、もう、観客は大爆笑の渦に包み込まれる。
玉カルに限ったことではない。昔のお笑いにとって重要だったのは、「ここのポイントで笑える」という芸能としての安定感だったような気がする。その意味では「お笑い」である以前に「芸能」ということだったのだろうか。そこでは、反復性の高さ(同じパートできっちり落とす能力)や普遍性(どのターゲット層に対しても万遍なく使えるネタ)が重視されていたようにも思う。が、まあ、そういう小難しげな分析はここでは止めておこう。

同じような要領で、三球・照代の地下鉄漫才「地下鉄の車両はどこから地下にいれるの?」だったり、セント・ルイスの「田園調布に家が建つ!」があったりした。幼少時分の僕は彼らを見るにつけ、子供心にも「もうすぐ来るぞ、来るぞ、、」という感覚に襲われ、大いにそのマンネリを楽しんでいたものだった。

お笑いは確実に複雑化した。
これはひょっとしたら、「進化」と呼べるものかも知れない。芸事としての敷居が低くなり(面倒くさい徒弟制度や修行主義から解放され、門戸は開かれた)、代わりに「ある一過性のタイミングで、面白いことをやれる」ことがお笑いにとっての重要なファクターとなったのだと思う。先に述べたような普遍性や反復性といった、保存可能かどうかというファクターはどこかに追いやられたのだ。楽屋オチ、素人イジリ(これは昔から有ったが)、ダブルぼけ・・・その進化は留まることがない。

しかし、物事は原点回帰するものなのかなあ・・・とも最近では思う。
ギター侍の「××ですから!残念。切腹!」、ユリオカ超特Qの「それでは発車の時刻です。」、長井秀和の「間違いない!」などは、ある意味で、昔のお笑いの文法とも言える『ヒトコトの持つ凝集力』に、お笑いの照準(力点)を絞り込んだものとも取れる。

・・・最近、お笑いが、また楽しく思えてきた。間違いない!

参考:過去コラム
「客いじり芸」に物申す!
「客いじり芸」の名人

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August 20, 2004

ココロに残る名言

「ロンブー、渋谷の監視カメラのモニター室に住めばいいじゃん?」(長井秀和)

・・・心に刺さった。

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August 15, 2004

TBSドラマ「逃亡者」

いやはや、毎回誰が犯人なのか、江口洋介は逃げきれるのか冷や冷やさせられますが。そんな中、ドラマを見ていて一つ、気になったことが、

それは、「意外にも公衆電話は多い」ということ。
ケータイ電話隆盛の昨今、街中で公衆電話を見掛けることなどすっかり少なくなりましたが、「逃亡者」の永井は、公衆電話を大いに活用して、逃走や諸連絡に役立てている。まったく、感心します。こんなに公衆電話って有ったのか!と。

わたくし気になって、公衆電話の設置台数、調べてみました。(下図)

public-phone_graph.JPG

どうやら公衆電話の施設数は、この10年以上連続で減少しているようですね。やはり携帯電話の急速な普及が背景にあるようです。また、設置されている公衆電話の構成を見ると、カード式の公衆電話から、デジタル公衆電話・ICカード式公衆電話へとシフトしつつあるうようで、2001年度現在では公衆電話全体の20%超が新式の公衆電話に取って代わった模様です。

劇中、永井が電話を掛けているシーンを見ると、どうも緑色の旧カード式電話を多用していることから、新式電話へのリテラシーはまだまだ不十分なことが窺えます。
NTT(東西)さん、無実の罪で逃走中の永井さんのためにも、どうか、緑色の電話、残してやってください!
お願いします!!m(_ _)m

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August 01, 2004

ていたらくオヤジ?殴っておしまいなさい。

シアトル・マリナーズのイチローが快挙を遂げた。

ichiro.JPG

通算3度目の月間50本安打は、大リーグでも滅多にない記録らしい。
実は恥ずかしながらワタクシ、今年の5月にほとんど生まれて初めて、野球観戦なるものをいたしまして、僕にとって栄えある最初の観戦が、シアトルはセーフコ・フィールドのマリナーズ戦でした。
それまで日本のテレビでは毎日のように、イチローの試合結果なんかが伝えられているのは知ってましたが、『日本のメディアは日本人の活躍を針小棒大に報じているだけ』なんて、最初はたかをくくっておりました。

・・・ボクは馬鹿でした。

イチローはアメリカ、とくに地元のシアトルでは、ほんとうにスーパースターでした。一挙一動に華があり、観客は寡黙な彼がたまに口を開いて述べる気の利いたコメントに、飛び上がって喜ぶ。いや、すごいんですよ、ほんとに。シアトルの街には無くてはならないカリスマなんだなあと思うと同時に、異国の人間にもきちんと敬意の念を払う米国の器量も大したもんだと感心した。

とても自慢にゃならないんだが、生まれつき、スポーツは見るのも、やるのも大嫌いでして。
生半可じゃない。
小学校の頃は体育の授業がやりたくなくて、一年間、レポートだけで済ませたこともある。将来、『身体で食ってく』つもりもさらさら無かった自分には、身体を動かすことが苦痛だったし、すべて文章で代わりを済ませた。当然、体育教師の僕への敵視は並々ならぬものがあった。が、まあ、授業をきちんとレポートしてたんで、何も文句は言わせませんでしたが。。
僕のスポーツ嫌いのエピソードや教師との戦いの回顧録「わが闘争」は、また別の機会に譲るとして、、それほどまでにスポーツに興味のない僕が、しかし、イチローと大リーグの野球には心震わされてしまった。魅了されちまったのである。野球は、スポーツは、立派な文化だし、これを守ることは芸術や文学を愛することと同列だな、と。

翻って、いま、日本の球界は大変な状況にあるらしい。
ぼうっと朝まで生テレビを見ていると、球団合併問題と2リーグ維持問題について議論していた。例の田原総一朗が、現役・OB・野球評論家などを仕切るわけだ。おなじみ二宮清純や、選手会会長のヤクルト古田、大阪府知事選にも出ていたエモやん。それぞれに話術も心得てるし、なんにも背景を解らない僕も、理路整然たる説明でおぼろげながらいま置かれている状況が理解できた。
とくに、古田は素晴らしい。彼はほんとに頭が切れる。当事者であればなおさら、感情的になりやすいテーマなのだろうが、目上の者や利害関係者の心情を害さない配慮とジェントルマン的な態度は崩さず、しかし選手を、ファンを代表するという立場を一貫してコメントに散りばめていた。抑制的に情熱を発露させて喋る話術を心得ている。正直、同席していたライブドアの某社長が頼りなく、少しばかり愚鈍に見えた・・・・。(ま、ライブドア某氏は自分の役割をよく心得て演じてたんだろうけどね)

しかし、それ以上に問題は、パリーグ某球団の某・元監督ですよ。もう、アホかと、バカかと。いったい誰が呼んできたんだよ、このオヤジ。だいたい、半分酔っぱらってテレビに出演している時点でアレなわけだが。百歩譲って、酔っ払ってテレビに出るのが「芸」になる議論屋ならいい。西部邁がそうだったし、野坂昭如もそうだ。彼らにとっちゃ、出演前の酒ってのはエンターテインするためのガソリンみたいなもんだからね。
でも、元大投手で元監督の某オヤジは残念ながら、酔ったところで、何の引き出しも付いてなかった。おっちゃん、テレビ舐めてんのか?視聴者なめてんのか?こんな親父を持った、美人プロゴルファーの娘が、なんとも哀れに感じられたことであるよ。。

野球界なんて普段考えたことも、これからも考えることはないであろう僕だが、若い人材の頼もしさと親父のていたらくっぷりが、心のフィルムにはしっかりと焼きついた夜だった。

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July 28, 2004

反逆の関西、或いは魂の陣取りゲーム

仕事がら出張が多く、週に2・3日は東京を離れている。
1回や2回であれば軽い観光気分にも浸れるのだろうが、毎週のように出張ともなると事情が違う。週明け早々の東京駅ホームに立った瞬間、既視感ある光景がシミュレーションされ、狭い脳裏を縦横に駆け巡ってしまう。正直に言えば、やや萎えかねないような、そんな気持ちもあながち嘘ではない。

さて、出張先は、これがまたちょうど東京と大阪の境目、名古屋。
関東と関西の、どちらの文化をも融合しうる地の利を有しながら、なおも独自の進化を遂げたこの街は、ある意味で異形の街ともいえる。(名古屋にゆかりのある方、ごめんなさい!!)ま、名古屋の面白さはまた別の機会に譲るとして・・・。

「出張はやや萎えの気持ち」と先述したが、そんな中、心密かな愉しみがなくも無い。げに、人間とはあくなき、快楽を消費する動物だと我ながら思う。それは一言で言えば、

                   TAKAJIN

である。そう、やしき・たかじん(55)。

東海圏は、関東と関西の熾烈な、文化的綱引きに遭っている。だが、深夜に名古屋で放映している番組を見ると、もう、大阪の勢いのすさまじさが分かる。ほんまに。そして、その代表選手は、「たかじん」の番組というわけだ。

たかじんくらい、東京圏と関西圏での露出の違いのあるタレントは居ないだろう。
彼自身、東京には数年に一度くらいしか来ない(し、来たくもないそうな)んだが、それがまた彼の希少性を増している。僕は名古屋の夜にたかじんを見ると、ただそれだけで、心酔わされてしまう。

凡百の当たり障りない東京のテレビ司会者は皆すべからく、たかじんを見習うべし。
番組の大半を『ピー音』が占めてても構わない。1回の番組で指し棒を3度折ってもいい。『宝塚のおばちゃん』で童貞を失ったあの日の思い出を、自虐たっぷりに話してもいい。
そういえば今日は、7月28日。「なにわの日」と言うそうな。

・・・僕の魂は、既に、陣取られたようだ。

takajin.JPG

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June 19, 2004

耽溺する筋肉

70年代フォークにハマッて、かれこれ10年以上になる。

「愛」だの「恋」だのを歌ってみたり、「逢いたい」だの「想いを伝えたい」だの、80年代以降のロックやポップスはその内向的な思いを第三者に認めてもらいたくて仕方が無いわけだが、60年代の終わりから70年代にかけてのフォークは違っていた。「仲間と語らいたい」「社会を変えたい」とエネルギッシュに唄ってみるかと思えば、とたんに枯淡のような情景を歌い上げたりする。ともあれ、音楽にはあまり明るくない僕だが、ある意味で80年代以降の歌は、主観を回復する試みだったのかも知れないな、なんて思ったりもする。

路地裏の片隅で、くの字にぶっ倒れて空を睨む痩せこけた青年。これが僕の想像上の長渕剛だ。
遅れてきたフォーク青年は、世界を変えたい仲間を探したいけど、関門海峡を越えて来てみれば、変えるべき世界も一緒にこぶしを挙げる仲間も見付からず、、途方にくれて女々しい恋唄を叫ぶ。男、ひとり。

げに、思い込みって恐ろしい。
ふとあるとき、気付いた。久しぶりに長渕をテレビで見たら、すいぶんと逞しくなっていたことに。長い髪は坊主に、女々しい恋の唄はなく、サングラスの奥でどんな眼をしてるのか、もはや窺えなくなっていた。身体を鍛えているとかいう彼は、司会者の前でとたんに、腕立て伏せを披露し始めた。。

岡林信康に高田渡に、山本コータロー、、フォークシンガーは痩せていると相場が決まっているもんだ(これはボクの思い込みですが(汗;))
・・・身体なんて鍛えて、どうする?

身体を鍛えるといえば、そういえば三島由紀夫も、映画「タクシードライバー」のデニーロもムキムキやってたが、身体を鍛えるときには、何かしらの覚悟をしているもんだ。ニーチェは、肉体的健康がルサンチマンを払拭する条件かのように書いていたが、兄貴はそこまで達観しているようには思えない。
悪いがボクには、あの筋肉に思想も覚悟も、見出せなかった。しいて言えば、「健康維持管理」かな?

その後兄貴は、大晦日紅白にはベルリンの壁の前で何曲も熱唱し、サザン桑田圭祐に喧嘩を挑み、共演女優と不倫しそれを奥さんに庇い立て会見されるなど、相変わらずのファンシー・フリーっぷりを見せている。でもそれでいいんだ。だって、アーティストなんだもん。

・・・あてどころ無き筋肉の行方だけが気に掛かる。

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June 09, 2004

こいびとフェチ

こい人が好きでしょうがないです。
・・・あ、とは言っても僕のブログで「恋」の話なんて書くわきゃない。

正しくは「濃い人」と言うべきでしょうか、テレビなんかでたまに見かけると、僕のハートの体温計が2~3度の上昇を示しちゃうような、そんな芸能人がおるのです。というわけで・・・

◎原田大二郎: 濃度★★★☆☆

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栄えあるトップバッター。さすがに、濃いですね。。>顔
僭越ながら、大物俳優としての腕前もたしかで、映画「敦煌」や「女帝・春日局」でも素晴らしい演じっぷりでした。ただの濃い人で終わらすにはとても勿体無く、理不尽な命令をする暴君なんかを演らせればピカイチの存在感と迫力です。

◎志垣太郎: 濃度★★★★☆

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続いては、志垣太郎。はなはだうろ覚えですが、「あかんたれ」。子供の頃は欠かさずみてました。人情ドラマにこの人が出ると、それだけで深みが増してしまうのだから、あら不思議。テレ東大好きな小生としては、土曜夜の旅番組・グルメ番組のレポーターとしても、いい感じ。お昼間のテレビショッピングで商品説明をさせたらば、ダチョウ倶楽部と双璧を為すだろう、そんな妙味ある役者さんです。

◎ルー大柴: 濃度★★★★★

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「こい、来い、濃い、恋!」((C)氣志團「恋人」)
いやあ、、まさかこのブログでルー大柴を語るとは・・・。あの欽ちゃんも所属している浅井企画のタレントさんですが、最近ではお笑いタレントというよりも、舞台俳優としてのほうが有名でしょうか。(しかし、浅井企画って、関根勤とか車だん吉とか見栄晴とか、、僕のツボを突く役者さんの宝庫ですね・・・)
テレビに出始めたときには既に、いい年したおじさんだったルー。自らを、国際派スターと言い切り、衒いに溢れた饒舌さを見せるルー。ルー、ルー、ルー。もう、ゲップ。CH3CHO(アセトアルデヒド)に例えれば、0.5ppmをかるーく、上回るんじゃないだろか?ともあれ、あのねばりけある感じとアクの強さと、あくなきエネルギーの放出っぷりには軽い感動すら覚えるのは確かである。いつまでも、日本が産んだ国際派スタアとしての気概を忘れないでいて欲しい。

・・・いやはや、ついつい語っちまった。
いずれにしても言えることは、これらのタレントさんが出てきたら、もうそれだけで、僕のチャンネルを変える手が止まってしまうということだ。実に、刮目に値する、一挙一動が気が気でならなくなる、まさに、ツボ。

驚くことに、僕の身の回りで彼らを嫌悪するひとは少なくない。けど、僕は譲りませんよ。彼らの姿をちらと見るだけで、何やら不思議なものがココロに突き刺さる。暖かさとは、熱運動のことじゃあないのかしらん、なんて思ったりもする。

いつでもどこでも効く万能薬なんて、あたしにゃ未だ早い。いま、この瞬間に欲しいのは、特効薬なんだよ。

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